兄の手

「ワンちゃん、ワンちゃん。」
大きな兄の手が子犬に向かう。おぼつかない手つきで頭を撫でる。

本人は精一杯の笑顔を向けているつもりなんだろうけれど、長年服用してきた抗てんかん薬の副作用で赤く爛れた歯茎が口っぱいに広がって見えて、ーかなり怖い。

私が小学校に上がる前まで、外でやたらと手をつないで歩きたがった。  

小さいなりに迷惑だった。
はじめて「やだっ!」と叫び、兄の手を振り払った時、びっくりしたような表情をしていた。

母方の従兄弟が我が家に遊びに来た。叔父は従兄弟が来春から国立大学附属の小学校に通うことになったと報告した。
誇らしげな叔母の顔の横で母の顔がみるみる陰っていく。

「これ、ひろ坊に。」
とうとつに差し出された兄の手には、ロマンスカー就航50周年記念グッズー限定50個販売のビニール皮革のバッグが握られていた。

本体は黄色で、中央にオレンジのロマンスカーが刻印されている。昨年手に入れてから肌身離さず持ち歩いていたから、ビニール革は日焼けしてロマンスカーの絵も禿げかかっていた。
 
困惑顔の幼い従兄弟。
新品ならまだしも、お古だなんて…。
子ども心にヒヤヒヤする私。
兄の顔は誇らしく自慢げだ。焼け爛れた歯茎を見せ笑っている。

「なんだ、それ。ゴミみたいじゃないか。孝君ももう大きいんだから、ひとにプレゼントを渡すときは、もっとちゃんとしたものを用意しなくちゃな。」
縁側の障子が開きトイレから帰ってきた叔父が大きな声で言い放った。

兄の手は、お気に入りのバッグを握りしめたまま行き場をなくし宙に浮いた。




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