ある「ギフテッド」当事者の半生(8) どうしてこうなった

次の土曜日から、運転免許を取得するための特訓が始まった。
とは言ってもオートマチック車は日本とアメリカ以外では殆どない。AT限定免許と言うものも存在しない。私は、必然的にクラッチの繋ぎ方から始めなければいけなかった。

ただ、ローギアの場合は非常にシビアなクラッチ繋ぎを要求される一方、トップギアに近づくにつれてクラッチ繋ぎが楽だと言うことはすぐにわかった。つまり、一度止まってしまうと1stから2ndへのシビアなクラッチ操作が要求されるが、止まらないようにすれば問題はあまりない。
しかも日本と違って郊外ではラウンドアバウト(ロータリー交差点)が主流で、基本的に一度走り出してしまえば、そこまでクラッチペダルに気を取られなくて済む。それが体感的に理解出来るとあとは早く、2ヶ月程度で「これなら試験官を乗せても大丈夫だろう」と感じるようになった。

試験当日。
担当官は40代くらいの男性で、ぶっきらぼうな人だった。
「右へ曲がれ」「次のラウンドアバウトをシティー方面に」指示する通りに走る。
そして最後は出発地点に戻り、担当官が一言「合格」。

 意外とあっけなくライセンスが取れてしまった。
とりあえず、400ドル弱は無駄にならずに済んだ。

さて、次はA-Level試験だ。
化学と物理学は成績が良かったが、生物学はAだった。それをA+(英国だとA*)にしなくてはならない。

 ただ、この時あることに気がついた。
「あれ?生物学をシステムとして見るのは、コンピュータサイエンスに近いのでは?」
コンピュータは自分にとって大好きな分野である。当時でも、CISC(いわゆるインテル系)とRISC(スマホの中身)のアーキテクチャについて語れるくらいの知識は存在した。

 そこからは話が早かった。物事を別の視点から見ることによって別のものに感じられる面白さを発見したのだ。
 最終的に、私はA+にまで成績を上げることができた。

…よし、次はロンドンに行ってみよう。
どんな国か見てみてから、留学を決めよう。

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