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淡い色と、はっきりした輪郭で残るもの

私は血の繋がった父親と幼い頃に別れて以来、一度も会っていません。
覚えていることも少なく、何の感情もありません。
母は苦労して生きてきたのだろうと思いますが、その人の悪口を言うことは無かったです。
淡々と事実を教えるのみです。
苦労の内容は金と女でした。女のことは最近知りました。
離婚をして家を出るという時に、その人はそっと私に紙切れを渡してきました。
紙切れには電話番号が書いてあって、「何かあったら連絡して」と言っていました。
私は必要ないと判断して、すぐにどこかのゴミ箱に捨てました。
小学4年生の時のことです。
憎しみはありません。
要らなかったのです。

釣りに連れていってもらったことがありました。
私が幼稚園に通っている年齢の時です。
その人のお友達数人と、大きい船に乗り、朝早く海に出ました。
椅子に座って水面を眺めていると、その人は隣で居眠りをしていました。
退屈になった私は椅子から離れ、釣竿を握るその人のお友達と並んで、また海を眺めていました。
少しすると、慌てた様子でその人が出てきました。
私の顔を見ると「おぉ」とだけ言って、肩を少し揺らしました。
今思うと、私が海に落ちたとでも思ったのでしょう。
その焦った顔だけが、私の記憶に残るあの人の姿です。
これは良い思い出でも、悪い思い出でも、大切にしている思い出でもなく、私が覚えている少ない事実の1つです。
“あの人”と書いていますが、距離感を表したくてそう呼んでいるのではなく、母と再婚をして父親になった父が今はいるので、別の人を“父”と呼ぶのは違和感があっただけです。
何て呼んだらいいのか分かりません。

病院の名前が書かれた看板や、家の表札に、その人と同じ苗字を見たりすると、焦った顔をただ思い出すだけです。

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