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裸の不安

温泉が好き。1人でよく行く。
心配事は幾つかあるのだが、一番最初に心配になるのは、間違ったエリアに入っていないかどうかだ。
私は女なので大抵赤くて「女」と書かれている暖簾をくぐりロッカーの前に辿り着くが、服を脱ぎ始めた時に「およよ?そういえばココは本当に女湯かしら?」と不安になる。間違ったかもしれない、と辺りを見回して、他に歩いている女体を見つけ安心するというのは毎回やっている。
次に、裸になってから掃除や温度点検等で通るスタッフの人と出くわすと不安になる。
こっちは裸だけど、あっちは服を着ている。勤務中なので当然だ。だが不安になる。
裸対裸だと、自分が裸である事に疑問は持たないが、裸対着衣だと、裸側は間違っているのではないかとドキドキする。
間違っていたらとっくのとうに捕まっているだろうと思うので、今のところ間違ったことはなさそうだ。良かった。

この間は横に寝る湯みたいなものがあって、浅い浴槽で横たわって寝転びながら浸かるというものに挑戦した。
これが本当に私を悩ませた。
寝ると乳房が2つ、水面からはみ出て浮かぶ。傍から見たら滑稽ではないか。まるでくり抜いた様に、まぬけに突き出る。困惑した。合っているのか?しかし他に方法がない。
乳房と乳首だけ外気にさらされ、冷えていく。何かの効果があるのだろうか?乳房と乳首を冷やして得る効能とはなんだろう。まず乳房と乳首だけ冷える状況って?そんな状況、普通に生きてて無い。だからこそなのか?ここで日常では滅多にない、乳房と乳首を冷やす状況に陥りましょうということか?どういう発想?
通り過ぎた人から私はどう見えているのか。乳房と乳首を浮かび上がらせて満足している女に見えているのだろうか。誤解してほしくないのは、私は自ら乳房と乳首を浮かべに行っている訳ではないのだ。お湯を楽しもうとしてこういう事になっているのだというのは信じて頂きたい。目的ではなく結果だ。
お湯は気持ちいい。横になって天井を見上げながらリラックスするのもかなり良い。良いのだからいいのだ。
最近読んだ本に、「日本人は、自分が幸せかどうかではなく他人から幸せそうに見えるかどうかが重要だ」と書かれていた。
今の私はまさにそうだ。いいのだ。私がいいんだから、いいじゃないか。股をおっぴろげてる訳でもあるまいし、ただ寝て、ハリのない乳房を突き出しているだけだ。
心の軸を自分に戻し、堪能できた。他の湯も大体制覇して、出ようかどうしようかとウロウロし始めた時、あの寝湯を利用している人がいた。
ソーッとチラ見した。私と同じように2つの乳房が浮かんでいたが、お湯の色が透明なので乳房が目立って浮かんでいるようには全く見えず、ただ横になっている人がいただけだった。そりゃ透明なんだから、乳房も他の部位も見え方に変わりはない。
全く以って自意識過剰な私の乳房であった。

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