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飛行機の中で

飛行機の中で泣くようになった。
故郷からの帰り道。こんな風に自分がなるなんて、思いもしなかった。

親元を離れて上京したのが18歳。ホームシックになったことはなかった。同じ年頃の女の子達は、自分の育った町や家族が恋しくて夜になるとしくしく泣いていたりした。ナイーブなお嬢さんばかりなのね。私は洗濯機の使い方が分からなくて立ち尽くすくらい、世間知らずの子供だったくせに、そんなことを思ったりしていた。

そんな私が、30歳になってから、泣くようになった。
空港まではいつも母が送ってくれる。「ばいばーい」と元気に手を振って背を向けた瞬間に、溢れて止まらなくなる。頬をびしゃびしゃに濡らしながら、搭乗口にチケットをかざす。今までは爽やかに「いってらっしゃいませ」と流れていた客室乗務員の声が少し止まり、私が通るときだけ、トーンを少し落として声をかけてくれる。機体に乗り込んだ後も涙が止まらない。チケットに記されている窓側の席に座る。隣はスーツのおじさんだった。隣に誰が座ろうが、通路に何人歩いていようが関係なく、泣き続ける。たまらなく寂しくなるようになった。
大人になって、視えるものが増えた。想像できることも増えすぎた。空港から帰っていく母の背中を、実際見たことがあるかのように描けてしまう。いつも立ち去るのは私の方なのに。
怒られている記憶しかないはずなのに、母親の顔を思い出すときはいつも笑顔だ。
今だって、書きながらずっと浮かんでいるのは、あの笑顔。

だいぶ苦労して暮らしてきたのだろうと思う。
私の産みの父の浮気相手から無言電話等の嫌がらせがあったんだと、最近になって知った。そういえば、母が電話を切った後に泣いていたことがあった。その後ろ姿を見て、幼い弟と2人でティッシュを差し出しながら「だいじょうぶ?だいじょうぶ?」と声をかけた。
多分だけど、あれ、そうだったんじゃない?
両親が離婚して、母の故郷に引っ越しをした。引っ越した初日、弟がオムライスをひっくり返して、新品のカーペットを汚した。母は卵やらソースやらの汚れを、泣きながら拭いていた。何にも大丈夫じゃなかったよね。私はまだ子供で、未熟で無知で、助けてあげられなくて、ごめん。ごめんなさい。

私達は、書く字が似てる。指先に乗っかっている爪の形が似ている。納得できないことがあると、「上等だ!全員やっつける!」と奮起するところが似ている。私は母から生まれたので、私の中に母の欠片が幾つも残っている。それを知っていることで、飛行機に乗らないと会いに行けないくらい離れた場所に住んでいたとしても、寂しくはない。寂しくはないはずなのだが、帰り道はきっと泣いてしまうだろう。
母は、母を大切にしてくれる男性と再婚をした。私は、彼を唯一の父だと思っている。
ずっと寄り添えていたらいいのに。今なら助けることができるのに。
もう私の助けは要らないし、母はそんなこと一切望まないと分かっているのに、そう思うことを、止めることができない。

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