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苦虫を噛み潰したような

2019/0404

苦い虫を知らないけど、苦いうえに虫ってだけで口の中が不愉快な妄想に苛まれる。苦虫を噛み潰さなくてはならない状況ってすごく拷問じみててきっと楽しいものではない。たぶん、足とか多めの、エビの尻尾ぐらいの硬さの、たまに予測不能な動きをするちょっと臭い虫なんだろう。苦虫ってやつは、特定の種が言及されているわけではなくて、想像上の生き物で、実体がないのに、ささやかながら、わたしをオエーとした気分にさせてくれる。

玉田企画『かえるバード』観た。あの時、あの人に出会ってなければ私の人生変わってた、っていう人生に於いて往々にして起こりうる不可避なイベントについて。わたしもアラサー、三十代を目視できる位置にいる。おおよそ30年、こういったイベントは避けようがなかった。その都度、人を憎んだり、自分の不幸を呪ったり、幸せだったかもしれない自分を妄想しては、現実を恨んでました。もしも〜だったら、〜していた。が苦虫の正体なのかもしれない。わたしが出来ることと言ったら、その苦虫を味わい、その味を分析し、時間をかけて消化するしかない。他人のせいにしない。そんなことは分かってるし、そうしたいけど、自分の非を認めるってすごくつらい。禅問答のようにわけわからん自分と戦うあいだ、わたしはわたしを手放したい気持ちにもなる。でもそれが出来ないでいるから、あの登場人物たちのように人に寄りかかって生きるしかない。

人の死について何も感じない看護師さんの存在が、死を肯定も否定もしない、ただ自然の摂理としてそこにある現象なんだと知らせてくれる。死はいつもドラマチックで、悼みのなかで人生が変わってしまうような気持ちにさせられる。故人がいない日常に支配されて、自分が人とは違う物語のなかを生きている気分になってしまう。それはそうとして、生きてることでドラマが起きていくことにもやっぱり気づいていきたい。とおもった。

この日の終演後、憧れの、私もこうありたいなと思う方から出演作の映画のチケットを買った。この人を前にするとあの時わたしが少しでもこうだったら…とまさに苦虫を噛み潰したくなる、けど、久しぶりお話しして、すごく嬉しかった。あの時の反省、自分の至らなさが私の背筋を支えてくれていると思う。たまたま居合わせた場所で、チケットを直接買えたこと、わたしにとってはすごく大事にしたいことだった。

かえるバード出演者の方々も本当に素晴らしくて、ひとりひとりの好きなところ挙げられるくらい、魅力的だった…最高でした。タイトルの謎は未だ解けないけど…

最後に夫の短歌を紹介します。

たましいは何色だろう君のいない春を知ってしまったたましい


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