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私は「ポジティブ」や「楽観」という言葉が嫌い

 メンタルの強い人は楽観的だというネット記事を見かけました。内容は、楽観的であることがいかに素晴らしいことか語られていました。それだけです。

そもそもの話

 私は「楽観的になろう」という言葉が嫌いです。だって、楽観的になろうと言われて、なれるなら別にそんな言葉はいりません。楽観的になろうとしても、できないから困っているのです。

 それでも楽観的になろうとします。でも、ついつい悲観してしまって苦しくなります。そんな自分に自己嫌悪ですよ。

 つまり、楽観的になるというのは、悲観的な自分を否定するということです。自分を否定するために楽観的になりたかったのでしょうか? 自分を否定して楽観的になれるのでしょうか? 私はできませんでした。

 本当に重要なことって、なぜ楽観的なことが素晴らしいのか、ということではありません。なぜメンタルの強い人は楽観的になれるのか。私が悲観的な理由は何か。この2点を理解しないで楽観的にはなれないのです。

私の場合

 私が悲観的になるときというのは、だいたい決まっています。だいたい、以下のどちらかです。以前は、過去のフラッシュバックもありました。でも、今はほとんどないです。

・前例のないことや慣れないことをするとき
・行動するのが面倒くさいとき

 今年の初め、私は定住先が定まらず不安定な状態でした。やるべきこと、やれること全てをしても不安や恐怖がおさまりません。

 これは私にとって初めての経験でした。引っ越し自体は何度かしたことがあります。それについての困惑はありませんでした。

 しかし、帰る場所がない、安心できる場所がない、というのは今まで経験したことがありません。これが堪えました。

 今、樺沢紫苑の「ブレインメンタル強化大全」を読んでいます。運動の章を読んでいるとき、私は心の中で、運動ができない理由ばかりをあげつらっていました。

 エアロバイクに興味があるけど今は買う余裕がないなぁとか、運動するためには運動着が必要だよねとか、終始こんな感じです。

 そして、運動できない、ここに書かれていることは実践不可能だと考えてしまうのでした。

メンタルが強い人とは

 まず、メンタルが強い人は悲観を否定しているわけではありません。むしろ、悲観の受け止め方をよく理解しています。

 語弊を恐れず端的な言葉にするのなら、欲しい言葉を自分で自分にかけてあげられる人はメンタルが強いなって思います。または自分をヨシヨシできる人ですね。

 悲観的な人というのは、だいたい悲観することに否定的である傾向があります。だからこそ、楽観的になりたいと考えるわけですが。

 これは悲観だけではありません。ネガティヴな人も、考え込む人も、後ろ向きな人も、そういう自分を受け入れられず、否定してしまうからメンタルが弱ってしまうのです。

 心はよくコップなどの入れ物にたとえられますが、私の知っている心というのは天秤です。片方の器だけを見ていてはバランスが崩れます。逆にバランスさえ取れれば器の大きさは自由自在でした。

 人間は一面的ではありません。良い面もあれば悪い面も持っています。両方をあわせて私という一個の人間を作っているのです。

 では、どうやって自分の嫌な面と向き合うのか。一般的によいとされているのは、リフレーミングやマインドフルネスなどです。

 リフレーミングというのは、視点や物事の捉え方を変えることです。よくたとえられるのは、半分の水が入ったコップです。「水が半分しかない」という見方と、「水が半分もある」という見方があります。

 天秤の片方だけではなく、もう反対側も見てみようということです。ポイントは、あくまでも両端を見ることであって、反対側へ移動して今までを否定しないということです。

 もうひとつのマインドフルネスは、「今、ここ」に集中することです。過去からの先入観や未来の不安によって歪んだ心のあり方を正すという感じでしょうか。

 実は、私もよくわかりません。マインドフルネスに挫折しています。ただ、ひとつポイントがあって、それは心からちょっと距離を置いて俯瞰するということです。

 何でも近づきすぎると、全体が見えなくなってしまいます。それは心であっても例外ではありません。

 マインドフルネスは、まず物事を事実と感情に分けます。私は、事実と感情を分けて考えることで、事実に対しては合理的に、感情に対しては労わるようにアプローチできるようになりました。

 しかし、これがマインドフルネスとして正しいのかはわかりません。マインドフルネスは何も考えないことで、散らかった脳と心を整理することだともいわれています。難しいです。

弱った心を助けるために私がしたこと

 素人の私は、自分の心と真正面から向き合うという荒療治をしました。専門家からすると危険らしいです。

 自分の嫌な部分には、自覚のないトラウマが潜んでいたりします。それを発見することを「パンドラの箱を開ける」というらしいです。

 パンドラの箱を片っ端から開けまくった私は、毎日ボロ泣きしました。トラウマの無自覚は、自分を守るための防衛なんですよね。自業自得ではありますが、その分苦しかったです。

 時に泣き暮れ、時に怒りを撒き散らし、時に恨みを叫ぶ心の中の私に、自分が欲しかった言葉をかけ、抱きしめてヨシヨシできるようになりました。

 これができるようになってから、嫌な記憶のフラッシュバックなどが随分と減りました。苦しむ自分を労った上で、建設的な思考をする下地ができました。

 そうです。自分の嫌な面を受け入れられるようになったからと、楽観的になれるわけではありません。楽観的な思考を身につける下地ができるだけです。

 ちなみに、トラウマもなくなってはいないです。一朝一夕には解消できません。簡単な話ではないのです。

なぜメンタルが強い人は楽観的になれるのか

 やっと大本命です。基本的にはリフレーミングやマインドフルネスなどをしていると、だんだん楽観的になって、自然と悲観的な自分も受け入れられるようになるらしいです。

 がっつり我が道を歩んでいる私は例外ですね。参考にはしても、実行してはいけません。

 メンタルが強い人として、私が真っ先に思い浮かべるのはお金持ちの人です。お金持ちの本とかを読んでいると、持つお金の量と責任の重さは比例関係にあるみたいです。

 一方で、責任の重さやお金の量は自由度にも繋がります。お金があるとやりたいことを始めやすいですし、人を巻き込むとその分抱える責任も増えますができる範囲も広がります。

 お金と責任と自由、それらを自在にコントロールしているのが一流のお金持ちなのかもしれません。彼らの思考や行動は、失敗に対して安全地帯を確保したり、リスク管理を徹底しています。つまり失敗しても大丈夫だから楽観的になれるのです。

 これはリフレーミングの訓練にもおすすめです。悲観やネガティヴなどを活かして建設的に考えるからです。悲観にもメリットがある、ということを知ると肯定的に受け止めやすくなります。

 また、悲観と楽観のバランスを考えさせてくれます。健全な状態というのは、良し悪しのバランスがとれていることです。私は心のバランスが取れているか、都度確認しています。

 マインドフルネスで、心を俯瞰できるようになると、自然にできるらしいです。私はできません。瞑想ならぬ、迷走をよくしています。

 お手本はお金持ち以外にも、幸せな人などもオススメです。幸せな人はメンタル強者です。引き寄せの法則などが書かれた本はスピリチュアルの分類ですが、心理学の本とあわせて読むと意外に理が通っていたりします。

楽観的になれる思考と行動

 具体的に、私の場合に当てはめてみます。

・前例のないことや慣れないことをするとき
→ 小さく始めて成功体験を作る
→ 次善策をいくつも用意しておく
→ 分からないことは専門家を頼る
など。

 前例のないことや慣れないことが不安なのは、成功体験が少ないからです。なので、確実に成功できるところから始めるという手段もあります。成功の数だけ自信がつきました。

 理想と現実は違います。うまくいけば儲けものではありますが、いつも理想通りというわけにはいきません。うまくいかなくても、次の手があれば迷わず軌道修正できます。コレがダメでも次がある、というのは心の安心材料になりました。

 人間のできることには限度があります。できないことは人に頼るのが手取り早いのです。また、世の中には様々な専門家がいます。餅は餅屋、彼らに頼ることは堅実な手段です。黒雲が晴れるように状況が一変しますよ。

・行動するのが面倒くさいとき
→ 今すぐできることを考える
→ 習慣の中に落とし込む
→ 人に習う
など。

 いくら学んでも、どれだけ考えても、行動しなければ机上の空論です。何の準備も必要なく、今できることが一番行動しやすいのです。一度動けば、エンジンがかかったようにどんどん実行しやすくなりました。

 習慣というのは、わざわざ考えなくても体が勝手に動いてくれます。むしろ、やらないと気持ち悪いので、習慣にまで落とし込むことができると、やらないという選択肢が消えます。ありきたりかもしれませんが、習慣にしてしまえば楽でした。

 人に習うということは、お金を対価にプロから技術を伝授してもらうことです。相手がいるからこそ簡単にキャンセルできません。強制力があるので行動しやすいのです。私は思考がやりきる方向へシフトしました。

 ネット記事のひとつに触発されて過去を振り返ってみたり、持っている知識を掘り起こしてみたりしました。

 結局のところ、悲観的もネガティヴも神経質も臆病も、全て含めて等身大の私です。嫌だからって否定するのではなく、恐れ慄き苦しんでいる自分に気づいて労わることが大事でした。

 楽観的もポジティブも気楽も前向きもプラス思考も、自分を大事にして初めて自然とそうなれるものなんですよね。

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