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言葉と学ぶ

言葉遣いがオラオラだと、行動もオラオラになる。もしそうだとすれば、言葉遣いは重要だ。

「自分をアップデートしていく」という言葉をたまに見かける。
本当にOSをアップデートするのとは違って、学習の比喩である。
アップデートはOS10とかOS11.2とか、OSの数字が上がっていくだけで、入れ物がスマートフォンなら、いくらOSをアップデートしても入れ物はスマートフォンのままだ。「自分をアップデート」という言葉が使われるようになったのは、スマホが定着してからかもしれない。

「学びを得る」「気づきを得る」という言葉もたまに見かける。
ワークショップに行って体験をしてみた私は「気づきを得る」。誰かに話を聞いて「学びを得る」。空っぽのリヤカーに荷を積んでいくように、学びは自分という器に入っていく。器は昨日までの器と同じだ。

「アップデート」も「学びを得る」も、入れ物としての自分はそのままに、中身だけ少しずつ更新している。

ぼくはイラストレーターなので、時代の要請にあわせて絵柄や絵の描き方を「アップデート」していく必要があるかもしれないし、もっと良い仕事をするために「学びを得る」必要もありそうだ。

一方、ぼくにとって関心があるのは、時代や成功のために「少しずつ更新」することではなく、ガラッと中身を変えること、器そのものを壊して別の器に変えることのほうである。

それは学習とは違うような気もするし、それこそが学習だという気もする。
人生観の変わる体験をしたり、人生観を変える本に出会ったりすると、昨日までの自分が考えていたことがバカらしく思えてくる。それが「器そのものが変わった瞬間」だ。そんなのは一生に一度か、二度か三度くらいしかないかもしれない。

明日から使えるテクニックを学ぶとき、器は変える必要がない。変えてしまったら明日から使えるテクニックも使えないからだ。でも、今まで培ってきたテクニックでは立ち行かない問題に直面したときは、アップデートや得るタイプの学習では、効果を発揮しにくいと思う。

(アンケート)
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