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覚えておきたいことへの意識

意識して学びとったものでない限り、なかなか記憶に定着してくれない。記憶はそのプロセスを「記銘→保持→想起」で分類することができるが、意識して覚えようとするのは、このうちの記銘にあたる。

意識して覚えようとしなければ、情報は脳にとどまることなく、すぐに忘れられてしまう。さらに、意識して記憶をキープしようとしなければ、記憶は消える。そして、せっかく覚えた記憶も、思い出そうとしなければいっこうに思い出せないままだ。覚えているのに思い出せないのは、忘れたも同然である。



ネット上には「学び」のある情報が溢れかえっている。あくまで個人的な感覚だが、学びのある情報に突発的にぶち当たっても、その学びが持続することはほとんどない。ぼくの場合、よく学びのあるツイートをTwitterのタイムラインで見かけるが、そこで学んだことをずっと覚えていられない。なぜ記憶が持続しないかといえば、そこで学んだ記憶を意識的に保持しようと思っていないからだろう。
RTやいいねボタンを押したときは、そのツイートが脳内に刻まれた段階(記銘)なのだが、いいねボタンを押したあとにそれをキープする気持ちが全然なければ、あっという間に記憶はどこかにすり抜けていく。

「学びを得た」とそのとき思ったはずの記憶をキープできないのは、つぎつぎに新しい学びの情報がやってくるからだ。記憶のプロセスのうち、記銘ばかりが活躍して、保持や想起に労力をさけずにいるということだ。

どのSNSのサービスも、タイムラインを更新すればどんどん新しい情報が現れる。そこには次の学びがあり、「ああ、これも勉強になるなあ」と思っているうちに、前に学んだはずのものが、一体何だったかも忘れてしまう。

なにを学習すべきかは、自分が学びたいものが一番優先されるべきだと思う。でもいまは、学びたいから学んでいるというよりも、自分のもとへたどり着いた情報は人気があり、どうやら学ぶ価値があるようだと感じるものについて学んでいることが多い気がする。自分のもとへと流れてくるということは、少なくとも誰かが重要だと感じていることだから、そこには魅力があるように見える。

でも次々にやってくる学びを、新しく自分の脳味噌に追加していけば、かつて「学びがありました」と喜んでいた事実も忘れてしまう。

もし自分が大事だと感じることがあるなら、それを忘れないためには、その記憶を保持しようとする意識が必要で、最新情報や人気情報からは多少距離をとる必要がある。それらの情報から離れるのは勇気がいることだ。「ほかのみんなが知っている情報を、自分だけ知らない」状態には恐怖が伴うからだ。でもそうやってみんな、新規の情報ばかりに注意を払い、健忘症みたいに、つい最近まで起きていたことも忘れてしまうようになっている。

記憶に関する参考文献)
池谷裕二『記憶力を強くする』(講談社ブルーバックス)
池田義博『人生が変わる大人の独学記憶術』(KADOKAWA)

2冊目の本はカバーと本文のイラストを担当しました(宣伝)


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