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201112【下り坂が始まる】

初めてベンチ入りした高校1年時の秋季大会はあっという間に負けた。その相手校は、高校時代何度も試合をし、自分は何度も登板をしたのだが、一回も勝ったことがない高校だった。なんだろう、自分の中で苦手意識があった。プロ野球のシーズン単位で見れば、相手チームによって相性の善し悪しが統計的に分かるかもしれないが、高校野球生活、2年ちょっとの中で、何か、打たれてまくり、負け続けたまま終わった高校が一校あった。

高校3年時は、その高校のエースは中学時代、県大会の準決勝で負けた相手中学の選手であったため、自分にとっては、中学からずうっと負けている。今、書き出してみて、負けたまま人生が終わりそうなので、せめてもの救いとして、今、大人になった彼が何をやっているか突き止めようとした。

大人になった彼と、大人なのか子どもなのか、おっさんなのか分からない今の自分と比較して、自分の方が優位に立っていれば、それは僕の勝ち、劣っていれば、僕の負けだ。何基準の判断か、ルールはすべて僕にある。口出しは無用だ。

この情報社会、インターネットの力を借りて、なんでも手に入れることができる。

エースの名前を検索する。検索してみたが、どうしてもFacebook他個人のSNSページにたどり着かない。うーん、名字だけではたどり着かないか。名字は分かるのだが、下の名前がどうしても思い出せない。関連するワードとして高校名やその年の大会名を添えるが、下の名前がどうしても出てこず、たどり着かない。

当時の試合結果まで検索できるのに、出てこないのだ。今、彼が何をしているのか、突き止めることが止まってしまった。実家に帰れば、当時の高校野球登録選手名鑑なるものが残っており、それを見ればすぐ分かるのだが、その目的のために帰省するのはもったいない。

何かモヤモヤだけが残ってしまった。

彼との優劣は闇の中だが、またこれを酒の肴にしようと思う。自分のことをバカにしてきた奴を見返したり、引き続きバカにされたり、いずれにせよ、それを肴に酒を飲むのが人生だと思っている。ロクな人間じゃないな、自分自身も多少気分が悪い。

ただ、負け続けて終わるのは、何か性に合わない。負けず嫌いという訳じゃないが、諦めがつかないのだ。言い換えれば、人間が悪いのかもしれないけど。

高校1年生の汚くも純粋な自分に話を戻す。

秋季大会後、チームは来年の夏の甲子園を目指し、いつも以上に練習はハードになった。ピッチャーとして、自分の出番も増えていった。そんな中で投げ過ぎなのか、肩を壊してしまったのだ。対外試合ではなく、自校内の紅白戦だった。投げていて、「ビチッ」という音が右肩に走った。ど筋肉の筋が切れたようだった。その異変がバレないよう、試合中は騙し騙し投げていた。なんだろう、ストレートを投げる時が一番痛いの。カーブやチェンジアップのような抜く球を投げる時は比較的痛みが走らなかった。ただ、試合後、監督に指摘され、その後の登板は回避、翌日には病院に行った。

筋肉の部位の名前は覚えてないけど、インナーマッスルの炎症と診断され、それから先、ノースローの秋、冬となった。ここから自分のポジションが奪われ、それ以降、下り坂の人生が始まったようなものだ。今も下っている。すんごい緩い下り坂を。

練習時はキャッチボールすら行なわず、ひたすら走るだけ。何か孤独のようなものを感じた。本当に毎日走っていた。高校最寄りの小川が流れる公園にてロードワーク。イチャイチャしている放課後のカップルを何度見たことか。別にバレないだろうと思い、高校から離れ、隣町の水田が広がる農道を宛てもなく走っていた。たぶん、陸上部より走っていたんじゃないかと思うくらい。いつの間にか足が速くなり、100メートル走のタイムは13秒台を記録した。これ、自分の中では結構の歴史のひとつ。その時走った分だけ鍛えた下半身が30代になっても生かされる時がある、はず。チームでの練習や連携プレイからは離れ、皆がレベルアップしていくのを走りながら見ていた。

自分が2番手だった枠に、こぞって同期のピッチャー、先輩ピッチャーがアピールし、寒くなり体外試合も納め時になった頃、同期のピッチャーに言われた。

「お前、調子乗っていたから、これからはオレの出番だ。」

今となっては、あはは。そんな事あったっけ。という話だけど、当時の自分には、「グサッ」と来るものがあった。

あ、自分、入部時から特待生扱いを受けて、同期の中では一番試合に出ていて、背番号ももらって、調子、乗っていたんだ。と。

別に仲が悪かった訳じゃないけど、ちょっと溝はあったよね。高校生、純粋に野球に打ち込めばいい。なんてこともなく、人間関係、また子どもと大人の端境の状況で、色んな想いがあったんだろうなぁ。

その時、野球部、辞めよっか。って考えた。でも、留まった。

部活辞めたら、身体動かさないし、また太っちゃう。また、部内に友人はいるし、尊敬する先輩もいる。戦力には成らないかもだけど、このコミュニティー、お付き合いも込めて続けることにした。「甲子園を目指す。」、「朝から夜まで全力で野球漬け!」のような教科書のような高校球児もいるのよ、と伝えたい。自分がそうだった。

どんどんレベルアップするチームメイト、同期、先輩を見ながら、自分は走って、ベンチに戻ってきて、マネージャーから水をもらって、また走りに行く。その繰り返しの日々だった。

そんな中、マネージャーと話す機会が増え、自分は1個上の女子マネージャーと部活がない休日、デートをすることになった。彼女に対しては、「遊びに行きましょう。」という言葉でポップにしているが、これは交際目的のデートである。

正直、その時、彼女のことを好きだったのだ。全国の高校球児が恋するであろう、女子マネージャーに、自分も恋をしてしまった。「恋なんてせず、野球しろ。」という声をあるかもしれないが、すみません、当時、一番近いところで「良いなぁ。」と思った人が現れたのだ。恋とは一種の病である。

日々のハードな練習に追われ、チームメイトにとっては貴重な休日を、日々の練習は自分のさじ加減でおおよそ済ますことができる自分は、貴重な休日を、意中の人と過ごした。

地方の大都市は、今でも閑散としている街が多いが、その街はそれなりにエンタメが揃っていた。高校生の時には、ドン・キホーテができ、ビレッジバンガードも進出してきた。

秋も深まる時期だったが、その日は天気がよく、羽織物もいらないくらいの心地よさだった。自分は、彼女と待ち合わせし、都市中心部を目指した。

令和の今は無き、その街の展望タワーに向かった。自分が幼い頃、親に連れて行ってもらったことを思い出す。高校生になって、デートで行くなんて、それなりにベタな恋愛をしているじゃないか、確実に成長をしているね、ベクトルが異なっているかもしれないが。

街の中心、シンボルとして聳え立つタワーには昇降回転式展望台が設置されてあり、高さ100メートルから街並み、港町は海の向こうの島まで見えただろうか。正直、後ろから彼女をギュッって抱きしめたかったけど、チキンな自分にはそんな事できなかった。まだ、午前中でもあったせいか、緊張していた。

午後のデートのメニューは、特に決めてないのだが、彼女とファミレスに入りランチを取ることにした。食べたメニューはオムライスなのは覚えているが、その味は覚えていない。午後、何しよっか。

大丈夫、このタワーが自分の恋の行方を応援してくれる、見守ってくれるに違いない。硬式球を投げること以外なら、彼女のためになんでもやる。ただ、それで良いのか?と思ったり。よく分からないまま、太陽が一番高くなる時間を迎えた。

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