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依頼者が意図を理解できないAIの知性は「使える」のか?

最近、話題になっているチャットAIの「chatGPT」が気になっている。

自然言語で質問をすると、それに対して回答を返してくれるAIらしい。

画像生成AIであるmidjourneyが出たときは、興味深かったのですぐに使ってみたのだが、こちらはまだ試せていない。自分がいま多忙なので、なかなか時間がとれないという事情もある。もう少し時間に余裕ができたら試してみたい。

実際に使ったわけではないが、自然言語で質問をすると、AIがそれなりにちゃんとした返答を返してくれるという触れ込みである。もちろん、抽象的な質問をした場合は、それなりにしか返してくれないということらしいのだが、かなりユニークな回答をしてくれると話題になっている。

また、例えば大学のレポート程度であればこなせてしまうようだ。なので、アメリカではレポートを「代筆」してもらう、というふうに悪用? されているのが問題視されているようである。

上記の記事では、実際にchatGPTに大学のレポート課題をやらせてみた方の記事である。なんでも、指示が甘いとやや無作為に意味を抽出してしまい、不確実な情報が返ってくる、という難点があるようだ。

これは画像生成AIのmidjourneyなどでも言えることだが、理想のアウトプットを返してもらうためには指示をかなり細かくしなければならず、midjourneyで「いい絵」を描いてもらうために指示するコマンドは長大になり、「呪文」とまで言われている。

一番大きな問題は、AIが弾き出してくる知性が依頼者の人間を超えていた場合、依頼者では真偽の判定ができない、ということだろう。上述のように、もし間違った情報が書かれていたとしても、それを受け取る側が判断できない、というのが大きな問題である。

人間がなんらかの仕事を依頼されると、「それがどういう意図なのか」を深掘りをするための「打ち合わせ」をする。chatGPTは、まだそのレベルではなく、言葉に反応して蓄積された知識を手当たり次第にしゃべってくれる「物知り」にすぎない、ということがわかる。

もっとも、このあたりの技術のブレイクスルーはそのうち解決するだろう。

仮に、本当にchatGPTで大学のレポート課題がすべて解決してしまう世の中になったらどうなるのだろうか。そうなると、そもそもそれが「課題」としては成立しなくなってしまうのでは、と思う。

この手の類似問題で従来からあるのは、「レポートをWikipediaの内容をそのまま書いてしまう」という問題である。しかし、それはWikipediaに書いてある程度のことをレポートとして求めるのが悪い、という意見もあった。

しかし、Wikipediaを一次資料にしてレポートをつくる場合、その内容を読んで、ある程度は理解していることが前提なので、chatGPTが返してきた回答をそのまま記載するのとはまた違うだろう。

似たようなことは、翻訳AIや将棋AIについても言える。「なるほど、そうなるのか」と、依頼者が理解できるレベルだったら「採用」できるのだが、依頼者がまったく理解できないものが提示された場合、意図がわからないので、全く参考にならない。

もし、AIの書いてきたものを「理解」できないまま使おうとしても、意図が理解できていなければ、実際には使い物にならないだろう。これは、将棋AIで頻繁に起きることだが、AIが示す手の意図がわからなければ、実戦で使うこともできないのである。



作家の森博嗣は、大学教員だったときに、レポートやテストで成績を測るのはナンセンスと考え、授業の内容をベースに生徒に「質問」を提出させ、その「質問」のレベルによって成績をつける、ということをしていたらしい。

質問のレベルに応じて理解度がわかるし、非凡な質問を考え出すのはクリエイティブですらある。実際、それはかなり成果をあげたらしい。面白い。

いまはコンピュータを使うのが当たり前なので、例えば漢字を書くのが得意、字を書くのがうまい、という特技はそれほど重視されない(とはいえ、僕は漢字が書けなさすぎるし、字が汚すぎるので、ときどき申請書を書く時などに恥をかくのだが)。また、記憶力も昔ほどは問われないだろう。

しかしこれからは、chatGPTで答えられるもの程度はそもそも覚えておく必要がない、という時代に突入するのかもしれない。肝心なのは、それがあることが前提で、そのうえで何をするか、ということだ。

以前、プログラミングの勉強を少ししたときに、プログラマは細かい関数などをいちいち覚えてはいないらしい、というのを知った。というのも、どういうことがしたいかさえ思い描けていれば、ググれば必要なものは出てくるから、ということだった。

つまり、「覚えること」は最小限でよく、どういうアルゴリズムを組むかの「思考力」のほうが重要だ、と。そういう時代がやってくるのではないだろうか。

これからどう広がりを見せるかはわからないが、人類はまたひとつ思考をレベルアップさせることができるのかもしれない。



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