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幸せに生きるための条件とは?

幸せに生きるための条件はなんだろうか、と漠然と考えていた。幸せというのは「自分がそう感じた」というだけのきわめて主観的な行為なので、万人に共通する条件はないだろう。

自分も「こういうことが幸せなのではないか」と頭で考えても、実際にはそうであるとは限らない。むしろ、過去を振り返って「このときは幸せだったな」と感じることのほうが多い。

幸せ=お金でないことだけは確かだ。お金はもちろん大事だし、多くあるにこしたことはないのだけれど、ありすぎてもしょうがないな、と思う。いわば安全に暮らすための保険のようなものだが、どちらかというと自分自身がお金を持っていることよりも日本全体がいまの安全性を維持できていることのほうが重要だ。

個人としては金のかかる趣味があるわけでもないし、豪邸に住みたいという欲求もないので、ほどほどにあればいい、という感じである。

ただ、一定以上のお金があれば「お金について考えなくていい」というメリットはあるかも。月収が5万円とかしかなかったら、コンビニだって入らないだろうし、何を買うにも金額が最重要項目になるだろう。

そもそも、お金を見ること自体が激減した。毎日家計簿をつけているので、クレカの使用額を含む自分が保有するキャッシュの総額は毎日見ているが、僕にとっての「お金」とは、パソコンに入力されている数字のことである。今となってはポイントみたいなものに近い。

SNSの数字とか、noteのビュー数とか、お金じゃないけど、数字を追うことって結構あるように思う。お金もそのうちのひとつ、という感じだ。たとえ貯金が1000万円あっても、0円であっても、自分の場合は支出はそんなに変わらないだろう、と思う。

また、当然ながら「売っているもの」でなければ買えない。ハンターハンターの続きが読みたいとか、ワンピースの最終回が読みたいと思っても、お金で買うことはできない。それが描かれるのを待つしかないのだ。

ほかによく言われるのは「自分が自由にできる時間」だろうか。これも幸せの条件としてはかなり重要そうではあるが、実際のところどうだろうな、と思う。もちろん自由時間も必要だが、大量にあっても持て余してしまう。

たとえば、平日は仕事があるため自由時間が少ないが、そのぶん仕事前後の自由時間を結構大切に使っているように思う。休日は時間があるが、そのぶんどうでもいいネットサーフィンとかに費やしてしまったり。

不自由な時間も、それはそれで楽しい。いや、趣味や旅行などに時間を使うということは、あえて不自由にしか時間を使えない環境に自分を置いているともいえる。

旅行中は、たとえば吉野家の牛丼が食べたいと思ってもそんなところには行かないし、映画を見たいと思ったとしてもそんなところには行かない。たいして興味もないお城を見に行ったりするものである。でも、そういうことが、振り返ってみればいい思い出になるわけで。

自分にとって楽しいのは、やっぱり新しい環境に身を置くことかな、と思う。新しいことをはじめて、刺激を受けて、成長しているときが一番楽しい。別に転職する必要はなく、会社の中でも、新しい業務をやってみると楽しいな、と思う。

といっても、ある程度続けないと良さもわかってこないので、そんなにしょっちゅう新しいことをやっているわけではないのだが、たとえば同じ仕事をずーっとやり続けるのは自分には合っていないような気がする。人によって違うのだろうか。

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