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なぜ「棍棒」が人気なのか?

ネットを巡回していると、たまたま「最近、こん棒が人気だ」という主旨の記事を発見した。

なかなかニュースとしては平和で面白く、都会生活に疲れた現代人はをこん棒を振りまわしたいという潜在的な欲求を持っている、という話はわかりやすい。なので、ひとつのほのぼのニュースかと思って読んでいた。

しかし、この記事を読んでしばらく経ってから思ったのは、こん棒というのは「わかりやすく人間の能力を向上させる道具」なのではないか、ということだ。人間が生み出した文明の叡智は、コンピューターやスマホなどの電子機器や、車や飛行機といった機械などが挙げられるが、それらを使って高められる人間の身体能力は、直感的にはなんともわかりづらい。

たしかに自動車に乗ればものすごいスピードで走れるし、殺傷能力も高いが、それはどこまでいっても「車に乗っている」状態にすぎず、「自分の身体能力が上がっている」と捉える人はほとんどいないのでは、と思うのだ。

こん棒は非常に原始的な道具ではあるが、たとえば護身用に家に置いておくことを考えると、この上なく心強い感じがする。

例えば、いきなり家に強盗が押し入ってきたときのことを考えてみてほしい。日本であれば、強盗とはいえ拳銃の使用はあまり考えられない。となれば、包丁などの刃物を携帯してくることが想定されるが、そういう強盗犯に対して、こん棒で撃退する場面を想像してみてほしい。

刃物とはいえリーチの短い包丁などよりも、ぶんぶん振り回すことができ、どこかに当たりさえすればそれなりのダメージを与えられるこん棒のほうが、戦闘力という点では上だとは考えられないだろうか。

道具を使ってはいるものの、かなり原始的な道具なので、「人間の身体能力が上がった」ようにも考えられるのである。



最近、人間の能力の中でも「投擲能力の高さ」に注目している。大谷翔平は時速160キロを超える速度でボールを投げることができるが、これは生物界全体を見渡しても、かなり特異な能力だろう。

野球をやっていない一般人でも、時速90キロぐらいなら出るのでは、という見解もある。つまり、人間の相対的な能力として投擲能力はかなり高いのだ。

先ほどの強盗の例をふたたび出すと、包丁を持った強盗が押し入ってきたとき、たまたま手元に野球ボール大の石が5・6個あったらどうだろうか? 強盗側も、押し入ったはいいものの、室内の至近距離で野球ボール大の岩石を投擲されたら、大怪我は必死、当たりどころによっては死んでしまう。

一般人が拳で格闘する威力と比較すると段違いで、これもすさまじい破壊力だと言える。普通の人が熊と格闘術で勝つことはほぼ不可能だが、こん棒と石があれば、少しでも戦えるような気がしてこないだろうか(まあ、殺される可能性は高いが、確率的に考えて)。

「こん棒」が人気というのは確かに頷けるのは、DNAに刻まれた本能というのももちろんあるのだが、上述の通り「人間の身体能力が上がる」からだろう。なので、僕は「こん棒」が流行るのだとしたら「投石」も流行るのではないか、と思っている。

縁日の射的などのように、空き缶や空き瓶などの的に適度な大きさの石を投げつける催しをしたら、意外と盛り上がるのではないだろうか。

そう考えると、野球というのは「投石」と「こん棒」のふたつを兼ね備えた競技なので、人気があるのかな、などと取り止めもないことを考えた。人間の持つポテンシャルをフルに活かした競技なのだろう。

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