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「つまらないスピーチ」とは?

会社などで、ときどき人前でスピーチをする機会がある、という人はそれなりにいるだろう。1〜2分ぐらいの短時間の枠のなか、フリーテーマで何か話せ、というやつである。

業務の中で学んだことや、生活するうえで発見したことなどを中心にそこで話したりするのだが、最近これに「自分が嫌いなパターン」があるな、と気付いた。

ありがちではあるのだが、「最近、こういう本を読みました」という系統のやつだ。「こういうセミナーに参加しました」というのもあるが、意味合いとしては同じだ。本やセミナーで学んだ内容を、1〜2分に圧縮して、みんなに事例として紹介するのである。

今までこういった系統のスピーチをいくつも聞いてきたが、ほとんど聞き流してしまったような気がする。どう転んでも、興味のある構造になりにくいのだ。

自分が読んだばかりの本(あるいはセミナー)の内容を1〜2分で正確に紹介するというのはちょっと無理がある。そもそも、その人も本を読んだり聴講したりした立場にすぎないので、それほど深い理解があるともいえない。「こういうことが書かれていました」という伝聞のようなものにどうしてもなってしまう。

「こういう本やセミナーがありますよ」という宣伝にはなるかもしれないが、全く興味がない状態のひとに自分の言葉だけで興味を持たせるには、かなりの話術が必要になるだろう。

なので、こういった場面での紹介は単なる情報の劣化コピーでしかなく、面白くないな、と思うのである。大元の情報になんら勝るところがない、ということだ。なので、そういう発表をしたい人は別にいいのだけれど、聴講側は思った以上に関心がないのでは、と思うのである。

つまり、これが「受け売り」ということだ。もちろん、聞き手側も「受け売りだな」ということがわかったうえで聞いているので、何か問題が起きるわけではない。しかし、せっかく発信する機会があるのならば、もう少し意味のある情報を発信したほうがいい気がする。

どういう情報だったら伝える価値があるだろうか、と考えてみた。たとえば、去年読んだ本で一番よかったもの、だったら付加価値がある。その人がどの程度読書をするかにもよるが、去年一年間かけて読んだものの中で最良というのであれば、読んでみようかな、という価値が生まれるだろう。

複数の情報をマッチアップしてもいい。この本ではこういうことを言っているが、こちらの本はこうだった。自分はこう思う、でもいい。これも、単なる情報の劣化コピーではなく、情報が連結コンバインされているので、多少は価値が生まれると言える。



一番いいのは、自分の経験と照らし合わせて話すことだろう。他人のリアルな経験談は、短時間で人の関心を呼ぶことができる。人の脳はそのようにできているらしい。

ただ、何かの情報をベースに自分の経験談を交えて、興味深い話を組み立てるためには、結構時間がかかるように思う。自分の場合、何か本を読んだり動画を見たりしても、それについて何かを語るには最低でも数週間、できれば半年ぐらい必要だな、と思う。見たばかりだと、枝葉の部分ばかりが気になってしまって、本質がまだ見えていないのだ。

いい具合に内容を忘れ、反芻し、自分の経験と照らし合わせて意見らしきものがでてくるまでにはまとまった時間がかかる。なので、何かの本を引用する際でも、読んだ直後に書くことは少ない。書いたとしても、本筋とはあまり関係ない、自分の意見が中心になるかも。

人間の意識というのは本当に不思議で、いったん情報として入れておくと、勝手にそれについて無意識下で考えてくれる。なので、ある程度時間が経てば、勝手に自分の意見が出てくるようになる。これは面白い。

考えてみれば、この短時間のスピーチという記事は、このnote記事に似ている。自分は、note記事という形で毎日スピーチしているようなものだ。

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