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変化は進化!!アラ還だけど変貌中「セカンドライフを楽しんで生きろ」だから

現在、没イチ3年生。
まだまだ学びの多いこの頃ですが、変化について考えてしまいました。

2年半前に夫を失い途方に暮れる日々の自分に向き合うためにnoteを書き始め最初の投稿から2年4ヶ月が過ぎましたが、最新記事と当時を比べるとあまりの自分の激変ぶりに苦笑してしまいます。

"日本人昭和女"であり、自分をいちばん知っているわたしゆえに、よくぞここまで変貌を遂げたと感心しつつも成長ぶり(?😆)を褒めたくなります。

ちょうど同じころに胃がんでワイフを失くした方は、最愛の伴侶を失くした絶望感から立ち直れずに後を追ってしまいました。その気持、わたしには痛いほどわかります。長年連れ添った人が消えてしまう喪失感は簡単に消えるものではありません。

グリーフを乗り越えられる人と躓いてしまう人のちがいは何なんだろうとたまに考えますが、それは変化を恐れないことの気がしてきました。維持を求め続ければ、喪失は絶望に繋がります。

生前、夫は「セカンドライフを楽しんで生きろ」という言葉を遺してくれました。その言葉はわたしにとっては「変化を恐れるな」というメッセージと共に前を向いて生きろという励ましの言葉に聞こえました。

「人は簡単には変わらない」「三つ子の魂百まで」なんてこともよく耳にするし、実際わたしは昭和的な日本女性の部分を未だ抱えています。でも、だからこそ、そこを打破したいという願望もあります。

自分の人生は自身で編んでいけばいいことを実践したのが亡き夫でした。わたしの過去45年はそれを二人三脚で応援する生き方でした。自分の理想を追いハチャメチャな選択をしてしまう夫と伴走しつつも、わたしの役割はずっと妻であり母でした。

二人三脚でしか歩いたことがなかったので、夫がいなくなったと同時に脚をもぎ取られたような気持ちになりましたが、行きたい方向に向かって歩きだせば道が開けることを隣でずっと見てきました。

夫の生き方はあまりにぶっとんでいましたが、過去四半世紀の海外生活で世界中の人々と出会い、いろんな考え方や価値観があることを知り、グローバルな視点を身につけられました。日本的常識に縛られることなく、自分がどうありたいかを考えるようになれたのは幸運なことです。

そう思うと、もしわたしが今も日本に住んでいて海外体験なく没イチとなっていたのなら「アラ還がマッチングサイトでQPさん発掘」の展開はまずなかったことでしょう。😆

良くも悪しくも日本では、世間体を気にする社会ですから、わたし自身がいくら望んでも「未亡人となり3年もしないうちに新しい人と仲良くするの?」という暗黙の圧力に抵抗する術はなかっただろうし、QPさんのような人を日本のアラ還世代からみつけることは簡単とは思えませんから。

自分の人生は自分のもの。
成りたい自分になって生きればいい。
居心地のいい人も場所も探せばみつけられる。

既存の価値観や常識にとらわれずに自分の理想や心を信じて、セカンドライフを楽しんでいくことを望むわたしにとって、人の目を気にすることなくいられる今の環境と状況が与えられたことに、とても意味があるように思えます。

昭和妻を卒業した現在、夫唱婦随も二人三脚も必要はありません。

自分の脚で歩くわたしと飛んだり、跳ねたり、歩いたりをいっしょに楽しんでくれそうな人に出会えてセカンドチャプターを思い切り楽しんでいけそうです。

亡くなる前に夫は「オレを忘れないで」とも言いました。

忘れるものですか!!忘れたくてもあまりに濃い人生だったので忘れられるわけはありません。だからこそ悲しくなることもあるけれど、どんな些細なできごとも覚えているからこそ、QPさんとのちがい、ギャップが今おもしろくてたまりません。

もしも夫が、先日のカリビアンリゾートでのQPさんとわたしを見ていたのならきっと腰抜かしているにちがいないです。😂 でもお言いつけどおりセカンドライフを楽しんでいます。

変化は進化ですから、過去を活かしてハッピーライフを創造していけることにわくわくがとまりません。

人生、山あり 谷あり、アップ&ダウンはあたりまえ。

前に進むための励ましになる言葉を夫が遺してくれたことに、愛情の深さを感じています。


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