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Coincheck の件で、非中央集権が幸せな世界を生むかは別問題だと再認識した。人生を誰かに任せたほうが幸せな人は多いようだ

コインチェックの件で、非中央集権の世界は、テクノロジーよりも、人間の感情の部分で、まだまだやってこないと思ったので、note する。技術的に安全でも、ユーザーのリテラシーが追いつくことがあるのかということについて。

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誰かがいなくなると、楽しくなくなる。

何かがなくなると、困ってしまう。

何かを失うことで、生きていけなくなってしまう。

そんな不安を持ったことはあるだろうか?

僕は、その不安を普通の人よりも強く思っているのかもしれない。

なにかを失うことで、ぼくの人生が終わる。

そんな僕以外の何かによって、僕の人生が左右されてしまう状況を、強く嫌だと考えている

もちろん生まれた国や場所、時代など含め、人生のすべてをコントロールできるとは思ってはいない。

でも可能な限り、

自分自身の意志で、自分の人生を生きていきたい。

そう思っている。

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しかしながら、人間ひとりで生きてはいけない。

育ててくれた家族、一緒に楽しめる友達、働いている会社、日本政府まで、多くの人や組織に頼って僕は生きている。

今の僕がいるのは、これまで出会い、経験してきた、すべて人や出来事によって成り立っていることは間違いない。

その意味で、ここまで感謝しきれないことていっぱいだし、これからも頼って、助けられて、生きていくのだろうと考えている。

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自分自身の意思で生きていくことは、誰かに何も頼らないということではない。

僕が信頼し、僕の人生に登場させたい人を、僕の意思で決めて、頼り頼られ生きていくような意味である。

仮に僕が頼る先を見誤っり裏切られてたとしても、それは僕がつくった人生だし、それは僕の人生だ!と言い切れるんじゃないかと考えている。

それが、「自分の人生を生きることだ」と考えている。

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長くなってしまったが、ここまでは前提となる僕の思想で、ここからが本題である。

そういった思想なので、誰かに頼りはするけれども、その誰かによって、僕の人生狂わされるリスクが大きいならば、別の人や組織に頼ることをきめたいと考えている。


日本国に老後を任せるのはいいのだろうか?
会社に70歳までお給料もらうのはどうなのか?
Facebook や Google だけに、娯楽や可能性を提供されたままの状態はいいのだろうか?

・・・

よく僕が考えていることだが、今はまだ頼っているけれど、このままでは不安なことだ。

頼っている何かを失って、困ってしまう。僕はそれを「依存」と定義している。

頼るのだけども、依存しない。すべてのことにおいて、この状態を僕は目指している。

しかし、国や大企業に権力が集中した状態では、僕が楽しく生きる選択として、今のところ日本やGoogleに頼るという選択肢を選ばざるを得ない(選択肢が他にあっても最適な選択がそれになってしまう)状況にある。

そんな、選択肢が限りなくそう決まってしまっている状況は中央集権であり、そうではない状況、つまり誰かに依存しない、非中央集権はどうしたら作られるのかを僕は考えているのだ。

そして、世界中に同じことを考えているはたくさんいて、テクノロジーで非中央集権の世界を実現しようとしている一つがブロックチェーンでもある。

そしてテクノロジーを使って、国に依存しない通貨を目指しているのが、仮想通貨だったりする。

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僕は、XEM含め数種類の仮想通貨を、コインチェックでも購入し、またそのまま預けたまま保有していたものもあった。

それはコインチェックに置いていると日本円を買い戻すことができるし、置いておくメリットがあるからそうしていた。

しかし同時に、コインチェックが僕が保有する仮想通貨を仕組み的に送信できる権限がある(秘密鍵がコインチェックが持っている)ことを理解し承知した上で、コインチェック上で保有していた。

つまり、コインチェックを信頼し、頼っていたのは僕だ。
頼る取引所をきめたのは僕自身。

また、頼る頼らないを決めるにあたって、リスクを調べ、リスクをとるのは、非中央集権の考えではある種の当たり前だ。

もし、そのリスクを受け入れられないのであれば、頼らないという選択肢を選べばいいだけなのだから。

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しかしながら、頼る先を決めたのは、本人のはずであるのにもかかわらず、一方的にコインチェックに責任をとらせるような姿勢の人が多くいることに驚いた。

そういった人は少なからずいるとは思っていたが、一連のTweetをみていると、規約すら読んでいないのではないかというレベルの人が、自分の保身だけを必死に訴えているような様子はなんだか悲しくなった。

もちろんコインチェックが悪い部分も多くある。というか、クラッカーが最も悪いのも言うまでもない。

だからといって、自分の決めた選択を、すべて他人の責任にして、自分のリスクをなかったことにしようとするのは、あまりに自己中心的すぎるのではないだろうか。

コインチェックが非中央集権の世界を作り出すのに、少なからず貢献していることは間違いない。

より良い非中央集権の世界をつくるためには、どんな取引所の在りかたが最適なのか、ここから新たに再度考え、本来前進していていかなければいけない時なのではないだろうか?

非難や責任追求だけの行為は、前進させないだけでなく、大きく後ろに引っ張ってしまっている。見ていて、残念でしかたない。

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そうした様子について、非中央集権は実現するのかという考察してみたのが、結論としては、本当の意味での非中央集権が来る日はまだまだ来ないのだろう、というものだ。

あくまで想像だが、コインチェックに非難だけしている人は、きちんと勉強をしていない人が多い気がしている。

非中央集権の仕組みや、それがどんな意味を持っているかも、把握できていないのではないだろうか。

個人的は、リスクに関する知識足りなかったからこれからもっと勉強しようぜ!っておもうのだけど、実際にきちんと勉強したり、考えたりする人間はどれほどいるのだろうか。

おそらく考えることすらしない。

よくわからないけど目の前でみんながやっている様子を見て、盲目的に信頼(行動)しているだけなのだ。

多勢がやっているからという理由で信頼し、何かあったら多勢の力で責任を取らせようとする。

世間の目とか、同調圧力とか、僕が日本の好きじゃない部分の心理にも近い。

もっと自分の人生を生きることはできないのだろうか?

もっと自分の人生は自分で作ろうぜ!

と、ここまでたどり着いたところで、こうした人が多く存在するのを見ていると、非中央集権の世界は、テクノロジーよりも、人間の感情の部分で、まだまだやってこない未来なのかもしれないという結論に至った。

あまり考えずに生きる人たちは、誰かに作ってもらった道で、設計された適度な幸せの報酬を受け取りながら、生きている。

選択できる自由よりも、何も考えずに貰える程よくもらえる報酬の方が、幸せな人生なのだ。

だけど、これからの時代の変化を考えると、危険な考えな気がするんだが。

僕は、僕が選択した人生を生きていきたい。

今回の件で、改めて強くそう思った。

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