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みんなYAZAWAになれ。

ぼくはYAZAWAこと矢沢栄吉のファンではありません。すみません、タイトルは引きが強い方がいいのであやかりました。

以前、矢沢栄吉の特集をテレビで見ていた時に言っていた言葉が印象に強く残っています。
「俺はいいけどYAZAWAはなんていうかな?」

え、どういうこと?矢沢栄吉とYAZAWAは違うそんざい??とにかく、相変わらずめちゃくちゃキャラ濃いな。すごいな、変わってるなこの人は。と思ってました。

時をすすめよう。

平野啓一郎さんという作家。「私とは何か」という本の中で分人主義をいう言葉を語っています。そもそも僕たちは、一人の人間でありながら、接する人によって分かれているということです。

友達と接してる時の私。
お医者さんの前に座る私。
親戚のおじさんの前の私。
意中の相手の前の私。

みんなわたしなのに全然違う人だったりします。

そう考えてみると私らしさとは何ぞやとなります。
私の中にたくさんの私が分かれています。

さらに、時をすすめよう。

こんな本にであいました。

けんすうさんの物語思考という本。
分人主義をより身近にして、使いやすくしてくれた本。というか分人をわざとつくれる方法を教えてくれています。

分人っていると小難しいのでもうすこしわかりやすくいうとキャラ設定です。

物語の主人公になって、登場人物も正確も、全部全部さきにきめておくんです。
本を1冊読もう!と意気込むんじゃなくて、本を一年に100冊読む人はどんなキャラかを先にしっかり固めて、それに自分がはまってくんですね。

ところでこの本めちゃくちゃわかりやすいけど、かなり心理学の科学的背景が詰め込められています。なのに超簡単によめるのがこの本のすごいところでしょう。

ところで、いま読み返しながらこの記事書いてるんですけど、よくみたら、この本の中に「俺はいいけどYAZAWAはなんていうかな」の項がありました。

え?え?え?

いやいや、この本一冊で説明ついた話じゃないか。自分で自分を責めている最中です。

おかしいな、この本より先に僕はYAZAWAの名台詞みつけてたはずなんです。信じてください。だってそうじゃないとこの文章の構成変じゃないですか…

とにかく本題に戻ります。

そう、矢沢永吉の分人としてYAZAWAがあったんですね。
だから僕らは矢沢永吉を一生見ることは出来ないんだと思います。かれはYAZAWAとして生きてる時間の比重がとてもおおいから。

矢沢栄吉でいるともうやめたいと思ったとき、ファンの期待にこたえようとするYAZAWAとして生きることで苦しい練習に前向きに取り組めるのだと思います。

上手くいかないことがあるとき、“一生懸命になって私をかえよう”と意気込むのではなく、“上手くやるであろう新しいキャラの私を作る”ことにエネルギーを使う方が簡単かもしれません。


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