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ハイパーハードボイルドグルメリポートのハードではないリポート

この前(といっても3ヶ月ほど前)、Netflixで「ハイパーハードボイルドグルメリポート」という番組に出会った。なんの気無しに見たのが最後、私の休日はまたたく間に終わっていった…

世界のヤバい地域のヤバい人が食べてるヤバい飯を取材する、という2017年からテレビ東京系で不定期で放送されているドキュメンタリーグルメ番組なのだが、アフリカ元少女兵の飯、台湾マフィア飯、ギャング飯、シベリア奥地のカルト教団村飯、ケニア巨大ゴミ山飯...

どれもこれも、飯を追い求めるには想像するだけで恐ろしい場所や人々が登場してくる。そこに果敢にアタックしていくディレクター。そして過剰な演出もなし。特に、アフリカのリベリアやケニアでの取材は、「ほら見て、ここがこんなに汚いよ!とか、あんな子供たちがいるよ!」とか、そういう紹介の仕方でなく、ただそこに有るもの。そこに在る人がカメラを通して映し出されていて、それはレンズ越しに強調されたものではく、ただ淡々と映し出されていた。そして、映し出された先にはシンナーに溺れ、目がいっちゃってる少年がたくさんいた。

本当に、目に入ってくるものや人の情報量が多すぎて、その人たちのご飯に至るまでに私のお腹がいっぱいになりそうな。それぐらいその地に生きる人のパワーが押し寄せてきて、同時に目を背けたくなるような現実もあった。目を背けたいというか、背けないと今の自分がいるところとのギャップに戸惑って、整理ができないんだな。

昔からよく聞いていた「ご飯も満足に食べれない人がこの世界にはいる。」そんな言葉は、私からは遠すぎるなとずっと思っていた。でもここでは、どんな手段を使っても空腹を紛らわそうとする人たちの姿がそこにあって、そんな姿を見ている方が現実がよっぽど近くに感じた。

と、配信を食い入るように一気見したわけだが、調べると書籍もでていた。これは、読まねば!数日後、物はゲットしたものの、その分厚い見た目に躊躇して1週間ぐらい中を開くことができなかった。

そして、私はこの本を読み終わった今、なぜ早く読んでおかなかったのかと過去の自分に言いたい。

それぐらい引き込まれる内容だった。結果、書籍も終始"ヤバい"のだけど、そのヤバいの質はテレビ版とは全く違う。編集を経たものは、ヤバいのほんの一部分でしかなかった。それでも十分すぎるぐらいの刺激があったし、相当なリアルさだったけれど、書籍版は映し出せなかったストーリー8割、ディレクターカミデさんの葛藤2割、といった感じで、たくさんのリアルがそこには詰まっていた。

カミデさんは書籍の中で、ケニア・ナイロビのゴミ山に住む、18歳の少年ジョセフがゴミ収集車の上に立つ彼に投げかけられるゴミを気にせず、その中から金になりそうなものをゴミ袋に入れていく姿を見て、取材人生の中で初めて泣きそうになったと書いた。

それは、同情の感情はもちろんあるのだろう。でも、それより、18歳の彼が、今ここではないどこかで生きている世界を想像した時、あまりにも今の彼と離れすぎていることへのギャップ。そして、そんなことを考えてしまう、自分への戒めの涙なのかもしれないな、と私は思ってしまった。

アフリカ編だけでなく、他の回も新たなる発見がたくさん詰まっていた。まさしく、「"飯"というフィルターを通して、人自身を映し出す」究極のグルメリポート。

正義とは、生きるとは、取材とは。


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