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【エッセイ】 偽りの 雑誌ロッキンオン音楽レビュー記事 RCサクセションSUMMER TOUR ’83渋谷公会堂〜KING OF LIVE COMPLETE〜DVD

1984年発売 Rockin’ On より抜粋


DVDレビュー:   RCサクセションSUMMER TOUR ’83渋谷公会堂〜KING OF LIVE COMPLETE〜

記事タイトル:「あなたになりたい、でも、ならない、だって、キヨシ、あたしはあなたじゃないから」
 
           ライター あきやまやすこ



女の部屋にしのびこんで、いいことしようぜ(*注)。

チャボは、はずさない。フェミニズムとかフェミニストという言葉もふつうに聞くようになってきたし、RCのメンバーやあたしがもっとガキだったころは、ウーマンリブという名前で呼ばれる女たちや運動もあった。でも、あたしのチャボは歌う。ショートカットの方にすると。二人連れのトッポい、イカしたのと、はめをはずすと。あたしが格闘しているはずの、女とか男とか、女の扱いとか、男の一方的な見方、とか、全部とんでっちゃう。わかってる。でも、体が勝手に踊りだしちゃう。

あたしは、どうして、いつもRCのライブでやられちゃうんだろう。どうして、いつも最後にはイカされちゃうんだろう。もちろん、自分でも、やられたい。イカされたい。もっと言うと、イキたい。

ザ•キング•オブ•ライブ・コンプリートと銘打ったRCサクセション’83渋谷公会堂ライブDVDの、RCの最初のナンバーは、自己紹介をかねたような、「ドカドカうるさいR&Rバンド」。この頃はやった「SUMMER TOUR」から、「雨上がりの夜空に」で、観客の興奮は一気にあがる。

この曲を聞かずにRCのコンサートはない。私も、見た、これをライブで。今回のツアーでは、渋谷でこそなかったけど、地方都市で二回。そして、ほかのライブやコンサートで、何回か体験した。レコードとか、あたしがウォークマンで聞いてるカセットテープとかで、それこそ死ぬほど聞いた。

あたしは、キヨシローが、ためいきつくところまで、あおるところまで、おんなじように歌える。あたしは、キヨシローにいちばんほれてる。そして、キヨシローにあこがれてる。

でも、あたしがキヨシローにほれて、あこがれてるって、どういう意味なんだろう。キヨシは、いつもステージの上で、「愛してるかい」ともきくけど、「愛してまーす」とも言ってくれる。あたしに。もちろん、ほかのみんなにも。でも、愛してる私たちに、どうしてほしいんだろう、その愛を。何に使ってほしいんだろう。もちろん、キヨシは、それは、オイラにゃわかんないぜ、むずかしいこと言いっこなしだぜ、ベイビー、とか言いそうな気がする。

「Drive My Car」から、レゲエっぽいビートに乗って「お墓」と続く。「ねむれないTonight」「ダンスパーティー」「NEW SONG」。踊り疲れた頃に、「たとえばこんなラヴ•ソング」が、アコースティックギターの音といっしょに始まる。キヨシローは唄う。

  唄うのはいつも
  つまらないラヴソング

そんなことないよ、キヨシ。キヨシがみせてくれる、あたしたちの思い、知らなかった感情、自分にあるのに気づいてなかった気持ち。あなたは、それを、あたしにみせてくれる。音で。言葉で。あなたほど、人に、少なくともあたしに、何かを伝えるのがうまい人をあたしは知らない。

  お前が好きさ
  おいらそれしか言えない
  ほかの言葉しらない
  だけど言葉で何が言える

言葉で何が言える。そんなこと言うの。知ってるよ、この曲だって、百回は聞いた。でも、あなた、そうやって言葉で言ってるじゃん。だから、あたしはあなたのことを、知ったような気になっているのに。

  気持がブルーなとき
  お前の名をつぶやく程度さ
  それでどうなる訳でもない

やっぱり、知ってる、あたしの気持ち。あなたにあこがれるのに、あなたのようなことができなくて、あなたのようなことはできないと思いこんで、そんな自分がいやだなと、ほとんど毎日思ってる。そんな色の髪や、そんなデザインの服や、そんな突拍子もない生き方や。あたしができるのは、あなたの名前をつぶやく程度。そして、それで、どうなるわけでもない。何がかわるわけでもない。

「Oh!Baby」「誰かがBedでねむってる」から、「ブルドッグ」。誰のことを言っているふうにも聞こえる絶妙な歌詞と、ビートのきいたナンバーで、長い間奏も、全然退屈に感じず、かえって堪能感さえある。「ブンブンブン」、そして、ホーンセクションがごきげんな、「Sweet Soul Music ~ I've been Loving You Too Long」。見える、踊ってる、特にチャボとかが、歌詞通りホテルにしけこみそうな、スタイルいいお姉さんたちが。

「指輪をはめたい」、「うんざり」、「つ•き•あ•い•た•い」と、コンサートは後半のクライマックスに向かう。ライブ盤最後の曲は「キモちE」。でも、このライブ盤は、私はその前の曲で終わって、十分満足。というか、これがライブ盤じゃなくて、普通のレコードだったら、その前の曲で終わるべきだと思う。名曲「スローバラード」。サビの部分は、あたしもだし、RC聞く人は誰でも、彼らが好きでもそう好きじゃなくても、ここは涙がでるところだと思う。

 カーラジオからスローバラード
 夜霧が窓を包んで
 悪い予感のかけらもないさ

文字だけで見ると、なんで?とあたしでも思う。さすがフォーク出身のキヨシだけあると思う歌詞。

だからさ、ロックって、言葉じゃないじゃん。ロックって音じゃん。キヨシの声と、チャボのギターと、リンコさんのベース、G2のキーボード。あ、それから、コーちゃんのドラム。そして、ホーンセクションが色をそえる。バックボーカルも、こんな大きなコンサートの時やレコードの中では。

ロックって生き方じゃん。うまいへたで、きめつけたり、歌詞の美しさで優劣つけたりするもんじゃない。RCメンバーのバラバラの格好見てもわかるように、あんたに一番いいことはほかの人とは違う。あんたに一番いいことが、きっとあんたに一番いいことだって。

そして、それをかまわなければ、キヨシのように、あんなみょうちくりんなカッコで、猿みたいな顔してて、ただのやせっぽちで、フォークあがりの歌詞書いて、あたしたちをサイコーに興奮させるゴキゲンな音楽つくって、きかせて、それでいいんだよ、と大きな声で言える。言葉で。音楽で。

女のあたしは、と、この頃のあたしはずーっと思ってた。ロックしてるのも書くのも、それを世に出すのも全部男。あたしは観客なんだろうか、一生、と思ってた。あたしは、いつも、恩恵やら商品やらサービスやらを受けるだけの側で、あたしが与えられることや参加できることは、女がすることを許されている商品とかサービスだけなのだろうかと思ってた。

ちがう、キヨシ。ちがう、それは。あんたのライブで、あんたの音楽で、あたしが寝てみたいと思う男から、あたしは学んだ。

あたしはあたしだ。あたしだけのあたしだ。あたしは、あなたみたいに、そうやって立っていたい。変な格好で、イイとは言えない顔で、みょうなザマで。自分を信じて。まわりを信じて。

キヨシローがくれた、これが愛なんだろうか。

でも、そう思ったのは、あたしだから。あたしがそう思いたいから、思ったんだから。

(*注:本文冒頭の歌詞は、「チャンスは今夜」より。アルバム「BLUE」収録。数少ない、チャボがボーカルの、ノリのいい曲。’83渋谷公会堂ライブでの演奏曲には含まれていない。)


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タイトルにもあるとおり、もちろん大嘘です。

RCサクセションが席巻していたころ、私は大学生でした。夢中になりました。私がコンサートに行ったのは、地元、よくて大阪まででした。RCの岡山公演に一度か二度、甲本ヒロトさんがいたと、(観客として、その頃は)、彼と同窓生の友人から、後に聞きました。私はヒロトと同じ景色を一回だけでもいっしょに見たことがあると思うのは、それだけで感激です。

忌野清志郎さんや甲本ヒロトさんの名前を出しましたが、私は夢中になる日本のバンドは、ほとんど男ばかりでした。モッズ、ARB、ルースターズ、スタークラブ、ラフィンノーズ、ロッカーズ、それから、いわゆるめんたいロックというのは、けっこう、そうメジャーにならなかった人たちのもよく聞いていました。でも、女性のロッカーというと、大好きなのは、シーナ&ロケッツのシーナさんくらいしかいませんでした。プラスチックスのチカさんとか、山下久美子さんやNOKKOさんなど、かっこいい人たちがいるにはいたのですが、RCやシーナ&ロケッツのような入れこみようはありませんでした。

毎月読んでいた音楽雑誌が、ロッキンオンです。それと、しだいに路線が、音楽雑誌の体を示すようになっていった、当時の宝島。どちらの雑誌も投稿欄があり、なにか送ってみたいなと思ってはいましたが、送ったことはありません。

私の記憶の中では、ロッキンオンの音楽記事は、こんなふうに、書いてみようという目で見ると、とまどうような体裁でした。たとえば、バンド来日や新盤レコードやCDが記事のメインなんですが、かならず、筆者のエッセイというか、すごく個人的な体験とか、思い出とか、考えとかが、わりとページをとって繰り広げられるんです。今でもそうなんでしょうか。それとも、それが、音楽記事の型みたいなもんなんでしょうか。

今は、型があるのはラッキーくらいに思っているので、当時、その型が見破れているか、または、だれかが、こういうことを、このくらいの量で、メインのことは、ここに、とか、具体的に示してくれていたら、もっと、とっつきやすかった気がします。でも、自分の即決行動力のなさを考えると、それでも、書いても送ってもなかった気はしますが。

ロッキンオンの編集部のメンバーとして、記事を書いている人たちは、みんな男の人でした。一人、イラストで、いつも見るようになった女性がいました。その人が、いつか、編集部のメンバー扱いになっていたような気がします。

ロッキンオンだけでなく、まわりのどこを見ても、「世の中のセンパイ」はみんな男でした。フェミニストという言葉が、揶揄されながらといえ、普通に聞かれるようになっていた頃です。大学生の年令の私は、自分の考えることと現実との間で、ふらふらと、根無し草のような気持ちでいたのではないかと思います。

過ぎてしまって、もう、そのただなかにいなくていいことを、ありがたく思います。今の私は、女であることを誇りに思う気持ちはあっても、損だと考えることはありません。それは、時間が過ぎたから、だけではありません。その頃から、どんどん目に見えるところにあらわれてくれた、そして本当はもうそこにいた「女のセンパイたち」。そして、彼女らが静かに確実に繰り広げてくれた戦い。それらのおかげです。

オトコだけが回していると思っていた社会のいたるところで、私のような閉塞感を持っている人がたくさんいました。その多くの人たちが開いてくれた道や、つけてくれた道筋に、ずっと助けられ、恩恵を受けてきました。

その中には、きっと私のようにRCサクセションを聞いていた人たちもいるんだろうと思います。踊ってた人も。ありがとう、私の前行く、ロックなおねえさんたち。

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