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僕は、絶対にAIに取って代わられない。なぜなら、

こん○○は。
作り手の想いにストーリーという名の翼を授ける「ストーリービデオグラファー」藤堂八雲がつづる、今日の雑感。
(すいません。今回も長文です。)


僕の中の命題

鼻息の荒い、勢いで書いているような雰囲気のタイトルだが、そうではない。

これは、僕がここ1年くらいずっと考えてきた命題で、僕の映像制作に対するフィロソフィーにかかわる問題だからだ。

これだけ生成AIが浸透し世の中へのインパクトを与えるようになった昨今、AIと映像制作の関係というか、自分の「進むべきベクトル」が、1ミリもブレないように、自分の中で答えを出しておきたかった。

ご存じの方もいると思うが、soraというopenAIが発表した、テキストで指示をして映像を出力できるAIが、「ビジュアル上の」クオリティが高く、驚かされた。


僕がこの発表を知ったとき、「あー、もうこうなっちゃうよね。」という感想だった。

仕事現場で、生成AIで画像を作ってうまく活用している僕としては、十分に想定の範囲内だった。

そして瞬きする暇もなく、もっと綺麗で、もっと自然で、高品質なものが出力できるようになるんだろうということも。


生成AIに1ミリも脅威を感じない僕

超一流のトップ層を除く、多くのイラストレーターやフォトグラファーが脅威に感じているのと同様に、映像界隈の人たちも少しずつ脅威に感じ始めていると思う。

僕は、超一流でもないし、トップ層どころか、トライアングルの下の方でもがいている映像制作者だが、なぜかそのような脅威は、1ミリも感じていない。

自分でもその根拠がわからず、でも同業の周りの人たちの「生成AIは脅威になって来てるよね」というコメントを聞く度に、違和感を感じ、気持ちがざわつくので、ちゃんとその根拠を突き止めようと思ったのだ。


生成AIの独壇場が静止画界隈な理由

イラストや写真の業界で生成AIが現実的な脅威になっているというのは、僕はものすごく理解できるし、実感している。
事実、その影響をもろに受けている知り合いもいる。

その最大の理由は明確だ。
画像や写真が、「見た目で(視覚的に)しか判断できない」ものだからだ。

僕が冒頭でSoraに触れた際、「ビジュアル上の」クオリティ、という表現をした理由はそれだ。


映像は、違う。

視覚的な映像そのものや、カラーグレーディング*以外に、映像の種類にもよるが、そこには静止画にはない「ストーリー」が存在する。

*色味や明るさ、コントラストなどを調整することで、作品の雰囲気や情緒を演出し、作品の意図する世界観を表現すること

カラーグレーディング解説

加えて、熟考されたカット割りに、セリフやBGMが重なることでストーリーを構成し、SE(効果音)やトランジション(シーンが変わるときの映像効果)の妙が、その映像の世界観をさらに昇華させる。


そうした映像を創り上げる各々の要素は、単独で存在するのではなく、すべてがアメーバのように有機的に連携し合い、融合し、ひとつの映像作品となるのだ。

ちなみに、写真と映像の違いについてはこちらでも語っているので、お時間があればどうぞ。


生成AIが絶対に作れないもの

映像には視覚的要素以外のものがあることをご理解いただいたところで、
「いやいや、そういう要素もAIがよしなにやってくれるでしょ!」
と思った貴方。はい、正解。

そしてそのクオリティが、プロの人間レベルに追いつくのも時間の問題。

じゃあなぜ、僕はAIに取って代わられない!と断言するに至ったか?


それは、『生成AIには、絶対にドキュメンタリー映像を作れないから』である。

その核心は、「その映像が、リアルであるか否か」だ。


言うまでもなく、生成AIの作る「生成物」は、「虚構」そのものである
静止画であれば、架空、空想の画。

どんなに技術が進化しても、生成AIが「虚構」の世界から抜け出すことは「永遠に」不可能。



少し表情を曇らせながら、ときに言葉を詰まらせ、起業した会社が倒産寸前までいったときの胸中を語ったり、ときには大きな身振り手振りで、当時を過ぎ去った話として笑い飛ばしたり…



こんな、ドキュメンタリーの主体者が、当時の記憶などを振り返り、回想して語るようなシーン。

本人が実感のまま語り、リアルな表情、息づかいなどを、「実写」で伝えるからこそ、実現できるもの。

本人の言葉、本人の表情、本人の息遣い、本人の意志、感情、それらすべてが伝わるようなインタビュー映像は、本人の実写によってのみ、創り出すことができるのだ。


僕がAIに取って代わられないワケ

さて、もうみなさんにもご理解いただけただろう。

僕は、ストーリービデオグラファー。
ドキュメンタリー制作を主とした映像制作者。

世の中に埋もれている、星の数以上あるであろう、人々の持つストーリーを、ドキュメンタリーという形で作品にすることを生業にしている限り、
僕は、絶対にAIに取って代わられることはない。


フェイクニュースなどという言葉がある時代、人々が想像する以上に、こうした人間が作り出すリアルの価値や重みが増していくことは、想像に難くない。


自分の中の「絶対にAIに取って代わられない何か」。
一度、考えてみてはいかがだろうか。

読者のみなさんの考えをコメントいただければ幸いだ。


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