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なぜ生物は老いて死ぬのか


「なぜ生物は死ななければならないのか。」と考えたことはありませんか?
死ぬことが無ければ、将来のことに悩まされることなく、今を存分に楽しめるのにと真剣に悩んだことが私にはありました。
 生物の死に方は大きく分けて2つあります。1つはアクシデントによる死。
食べられたり、飢えたり、事故に遭ったりと思いがけないアクシデントによって生物は死にます。
もう一つは、寿命による死。アクシデントが起こらなくても、生物は必ず老いて死が訪れます。
生命現象として老いて死ぬことがプログラミングされているとすると、死には大きな意味があるのではと考えるようになりました。
 少し残酷な感じがしますが、多くの生き物は、食われるか、食えなくなって死に至ります。
これをずっと自然のこととして繰り返しているのが自然界の循環です。
つまりざっくり言うと、個々の生物は死んではいますが、たとえ食べられて死んだ場合でも、自分が食べられることで捕食者の命を長らえさせ、生き物全体としては、地球上で繁栄してきました。
寿命で死ぬ場合も基本的には同じで、子孫を残していれば自分の分身が生きていることになります。食う、食われる、そして世代交代による生と死の繰り返しは、生物の多様化を促しています。
つまり生物にとっての「死」は、子供を産むことと同じくらい自然な、しかも必然的なものなのです。事実、自身の命と引き換えに子孫を残す生き物、例えばサケは産卵とともに死に、死骸は他の生き物の餌となり、巡り巡って稚魚の餌となります。
もっと直接的な例ではクモの一種であるムレイワガネグモの母グモは、生きているときに自らの内臓を吐き出し、生まれたばかりの子に与え、それがなくなると自らの体そのものを餌として与えます。
まさに、「死」と引き換えに「生」が存在しているのです。
 命の連鎖の上に私たちは成り立っていて、死がなければ、そもそも今の私たちは存在しないことになります。
生態系の中では、生物にとって死は必ずしも悪ではなく、命をつなぐ美しい現象でもあるのです。

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