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徳川慶喜と蠍座

徳川慶喜について。
ホロスコープを調べてみたら蠍座生まれでした。


徳川慶喜1837年10月28日 東京生まれ
出生時間分からずハウスはこの通りではありません。

私としては最初蠍座というのが意外だったので、
ホロスコープを軽く念頭に置きながら、この夏から慶喜に関するいろんな本を読んできました。

そうしたら、なんだか慶喜氏(ケーキさんと明治後は呼ばれていたとか)がとても愛おしいような、身内のような気持ちになっています。

月は天秤座。(真裏に牡羊座冥王星)
月星座は「そうあらねば大変なことになるという絶対的な不安感から、無意識にそう振る舞っている」というある方の解釈を最近読んだのですが、
彼に当てはめてみると納得のような気持ち。

見目麗しく聡明、「体力強健」「天資明敏」と子どもの頃に評され、兄を超えて後継候補と早々となるにとどまらず、
水戸家という立場でありながら将軍にさせようと鼻息荒い父親がさまざまな騒動を起こすのに巻き込まれて、存在が危険視されてしまうという若い頃は、できるだけ野心を持たず、意見を言わず、スマートに振る舞うことが必須であったのだと思うのです。

ですが運命に押されて将軍に押し上げられてしまう。
その中で、周囲の意見の調整というあり方では全く無理で、
自身の日本の将来のヴィジョンとアイデアをはっきりと打ち出さなくてはどうにもならない状況になり、
とうとうはっきりと打ち出してゆく。
それが「尊王開国」という、今の私たちからしたら一番真っ当なヴィジョン。
のみならず、今の幕府体制では無理だということから、一度幕府を解体して新しい政治体制を作ろうとプランしていた内容は、限りなく民主的で、明治維新後の議会制よりももっともっと今の議会制に近い、フラットなものだったとか。これを将軍就任を躊躇っている間にすでにまとめ上げていたようです。

聡明な頭脳で責任を持ってヴィジョンを組み立て、将軍職に就任したけれど、
それを実現するのはヴィジョンと立場があればオッケーでもなく、
さらに意思を持って踏み込んで、策を立て、敵対するものを蹴散らす「力」の行使。
ここに進んでゆく。

ふわりと周りの空気感を損なわないようにしていた月天秤座の少年期から、太陽蠍座へと誘われてゆく感じがする。

「力の行使」といっても、自己顕示欲だとか、コンプレックスだとか、
この貴公子においてはそういうことではなく、
その目的はひとまずは愛ゆえにだと思うのです。
何に対する愛かというと、
天皇に対する愛。すなわち神への愛。

水戸の地は、私もよく知らなかったのですが、水戸光圀が日本史の編纂大事業に取り組み、
それによって、天皇を中心とした神道の日本という意識の強い土地で、(水戸学)
当たり前にその世界観の中で教育を受けてきた慶喜にとって、
天皇は絶対的な存在であり、幕府はその天皇から命をうけたもの。
なので幕府を解体してでも天皇を中心としたこの国を進めてゆくという思いがあったのだと思います。

それがさまざまな思惑が行き交う幕末に、尊王と言いつつ朝廷や天皇を思惑のためにうまく動かしてゆくという勢力もある中、
慶喜の尊王は本気の尊王だったのだと思います。

だからこそ、周囲にとっては突然の方針転換や腰砕けのように見えることも、
「朝敵になることだけは避けたい」という想いで一貫しているということに、
周囲の人には理解できない深い想いがあるのだと思います。

彼は土星も蠍座。
(太陽には魚座天王星と、水瓶座海王星がほぼジャストで角度をとっている)

彼の蠍的なレールに働きかけるものの強さ!

力の行使の必要を感じて、
それは想いを同じくして動いてくれる人の存在が必要で、
話し合いの場を重ねて重ねて、周囲ごとそちらに動かしてゆこうとするのだけれど、
外国や内部からどっかんどっかん息つく間もなくいろんなことが起き、
正解が誰にも分からないこの激動の時、
小さな価値観や認識のズレで味方が簡単に反対側にまわってしまったり、
人と想いを同じくして、信頼して進められることがほぼほぼできないでいた感じもあり、

天秤座の観察して踏みこまず溶け込ませているところから、
人に踏み込んで思いを進める力を自覚した蠍座に進んだものの、
それが土星の圧力もあり、結局思うようにはいかないことも多くあり、
最終的には自分自身の世界、自分の思う行動、判断を自分の世界でやるしかないという、
本当の孤独。魂の世界に自分だけで降りてゆく。

王政復古という暴力と策略による最後のカードが切られたあと、京を出て、謹慎生活に入る慶喜は何を感じていたのだろう。
絶望?
それとも静かな静かな自分だけの魂の世界?

それはきっと、この体験をした彼にしかわかり得ない境地だったんだろうと思う。

隠居生活は穏やかで、
何も語らず、
明治維新から戊辰戦争、日清戦争、政策の大変換、いろいろなことが引き続き起きていくけど、
全く政治にも社会情勢にも興味を示さなかったと。

30年!ほど後にようやく公爵の位が授けられ、天皇への謁見も果たし、「朝敵」の立場ではなくなった慶喜。
本当に本当によかった。
天皇と日本のために死に物狂いで立ち回ったのに、絶対に避けたかった朝敵になぜかなってしまったという人生が、
最後にちゃんとほどかれて。

そればかりでなく、
静岡や文京区の屋敷には、旧幕臣やゆかりの人たちがかわるがわるご挨拶に訪ねてきていたとか。
激動の最中には、誰も本当には信頼しきれなかったかもしれないけど、
後の世になって、ちゃんとみんな訪ねてきてくれた。
型通りのご挨拶であったのかもしれないけれど、そこにはあの時を共にしたものにしか分からない深いところでわかりあうものがきっとあったのだと思う。
それが、蠍座土星期にちゃんとたどり着いた感。

時代の変化を受け入れつつも、幕府の最後の尽力や徳川家を慕う人たちはちゃんといて、いつまでも彼は将軍であったのだろうなと。
若かりし頃よりもむしろ、その大きさ、人生を経た気品や人格がきっと、もう明治以降の世では生まれ得ない、みなにとってかけがえのない将軍様だったのだろうと、
最晩年の写真を見ながら思ったのでした。

そして、この写真を見て、あぁ、深い深い人生を送った方に対して軽々しく小娘が語ったりしてはいけないと、畏敬の念に自らが恥ずかしくなるような気持ちになり、慶喜の星読みブログなんて無理だし、やるべきじゃないわ。としばらく何も書けないでおりました。

でも太陽が蠍座に入り、
ケーキさんへの尊敬からも、やっぱり書こう、蠍座に絞って書こう、踏み込んでみよう、と思い、再び取り組みました。
これもやっぱり蠍座的な心境の変化かな。

「微笑む慶喜」戸張裕子著 草思社より

徳川慶喜と蠍座。
人の思惑という底なしの渦は末恐ろしくても、
覚悟を決めて踏み込むことで得られるものは、
入り口では見えなかった魂の世界の深み。奥行き。
愛の衝動に誘われ、それをするしかないと覚悟を決めて降りてゆくのが、蠍座の今という時なのだろうと思う。
人生を本当に生きるということを。


最後に個人的に。
私の山羊座太陽のサビアンシンボルが「敗北将軍」であることに、慶喜の本にハマっている途中に思い出しました。
思えば昔はラストエンペラー、愛新覚羅溥儀にハマっていたこともあり、
敗北将軍になにか強く感じることがあるのだろうなと思いました。
ちなみにサビアンの意味は
「優雅に勝ちを譲り、徳を得る」
私はこれを気に入ってます。


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