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五円とご縁の話

甘ったるい匂いを纏った薄暗い店内にいくつもの黒いカーテンが肩を並べている。
不自然な笑みを携えた女が赤暖簾を捲るサラリーマンのように黒いカーテンの隙間から恐る恐る中を覗き込む。
するとそこに座っていた中年の女性は、久しぶりに娘と再会した時の母親のような笑顔で「いらっしゃい」と言った。

ひとしきり女が話し終えると、中年女性は全てを悟ったような面持ちで5円玉を取り出し女の顔をじっと見つめる。
紐に繋がれた5円玉がゆっくりと動き出し、中年女性が徐に「ノー」と発すると、女はどこかほっとした表情に変わった。

「彼とはご縁がありません。」
「そうですか。」

異様な空気を醸し出す建物から足早に立ち去ると、女は軽い足取りで街へと姿を消していった。

「5円とご縁って誰がうまいことwwwww」
と大量に草を生やしている自分に気づいたその時、私は全私を支配していた無意味な執着心から解放され、憑き物が落ちたような穏やかな気持ちを取り戻したのである。

あれはなんともスピリチュアルな出来事であった。
(補足ですが、私は占い肯定派です!)

名のある人間関係、
例えば、知人、友人、恋人、夫婦、浮気相手、不倫相手、なんとかフレンド。

縁=出会い、とするのであれば人が人と関わりを持った時点で縁は既に存在しているのである。縁がない、とは出会うことすらない、とも言える。

しかし、中年女性の言う「ご縁」とは、彼とこの先も良好な人間関係をキープできるかどうか、ということだと私は理解していたし、
ご縁とは単なる出会いを指す言葉ではなく、人間関係が始まった背景や、もたらす影響、そこに生まれる感情など全て引っ括めてご縁なんだと思っている。

何を今更当たり前のことを言ってますのん?
と言われかねませんが、改めてご縁とは?と考えさせられるきっかけとなったのが5円玉おばさんとの縁だったのは間違いない。

せっかく縁があったのだからお互い気持ちの良い関係でいたいと誰もが思いますよね。
しかし、周りの人たちも含め、良好な人間関係を保つことが出来なくなった時点で、縁に対する執着を手放さなければ私のような執着モンスター(通称シューモン)が生まれてしまう。

そして私の尊敬する方がこんな記事を書かれていて、また縁に対して思いを馳せるきっかけとなったのですが、男女関係の縁ってまた特別に複雑怪奇なものですよね。

恋愛にはよくある話だが、関係性はどうであれ「ご縁がなかった」ということを理解するのは本当に難儀なことなんだろな、と。
それがきちんと納得できないとドロドロぬめぬめしてくる。涙、怒り、もう負の感情のオンパレード。
そして、そんな負のオーラを纏った悲劇のヒーローヒロイン誕生!までがシナリオ通りって感じですかね。

その縁に関係のない全くの他人からしたら、興醒めもいいところ。あんたら何やってんの?と一蹴されるのがオチ。
だけども当の本人たちは至って本気。若しくはどちらか一方かもしれませんが、なかなか客観視できない。
そこには縁がもたらした複雑な感情が渦巻いていて、他人には理解し難いような状況が生まれている。

縁を切るなんて物騒な言葉がありますが、縁がなかったということをプラスに捉えることができれば、また新たな良い縁がやってくる。のかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。(どっちやねん)

縁=出会いは偶然かもしれませんが、
ご縁をどうするか、どう捉えるかはあなた次第だと言われた気がした、四十路の夜~♪
(ちんたら書いてたら朝になってました)

𝑭𝒊𝒏.

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