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どうやれば今の若手社員を動かせるか?──H君との長話


ルーティンに追われ新しいことを始めない若手社員たち

僕は大阪の放送局MBSを退職して2年近くなりますが、先日、久しぶりに昔の部下であるH君が会いに来ました。

正確には、上京する彼に合わせて僕が東京支社にのこのこ出かけて行ったわけですが。

H君は昨年から仕事の傍ら大学院に入って勉強しており、そもそもはその修士論文を書くために少し昔の話を聞かせてほしいとのことだったのですが、会って話をしてみるとそんな単純なことではなく、もっと根の深い話でした。

彼はそもそも最近の若手社員たちが(真面目に働いているには違いないのですが)自ら新しいことを始めようとしないのが気になって、一体どう動機づけしてやれば若い後輩たちに新しい学びを体験させてやれるんだろう?と悩み、それで大学院で組織論的なことを一から学び始めたとのこと。

僕に話をしてほしかったのは、彼が僕の部下であった(と言うか、僕の意識としては「一緒に働く仲間」だったのですが)当時、僕が何を考え、彼の知らないところで何をしていたのか、ということでした。

というのも、僕らが一緒にやっていたころには、いろんな新しいことを次々と手掛けていたからです。

その最たるものが合計3回開催したハッカソンと、在阪局としてはわりと早かったテレビ番組配信の開始でした。

(ハッカソンについてはここ ↓ に書きました)

彼からは「1時間ぐらいおつきあいいただけませんか」とのオファーだったのですが、冒頭から彼の熱い思いと悩ましい現状、そして、これまで彼が考えてきたいろんなことの説明が 40分間も続き(その間僕はひたすら黙って話を聞いていました)、結局2人で3時間も話してしまいました。

H君が言いたかったのは、ひとつには若手社員は皆ルーティン・ワークで忙しすぎるということもあるし、彼ら自身や、あるいはその上にいる中間管理職の気質の問題もあるけれど、うまいこと環境を整えてやりさえすれば各部署で自生的に、ボトムアップで新しい提案が出てくるのではないか、と考えていて、そう仕向けるためには何をすれば良いのか?ということでした。

僕が話した内容は多岐に渡った上にかなり断片的でとっちらかっていて、ここにうまくまとめて書くことはできないのですが、H君だけじゃなくて他の人たちにとってもひょっとして何かのヒントになればと思い、思い出すままにいくつか書いてみます。

古き良き時代のうさんくさい奴ら

まず、僕は、部下が失敗した時に謝りに行くことと、経営陣を洗脳することが上司としての自分の役割だと思っていました(ただし、前者は僕が若かった時の上司からの受け売りです)。

そして、そのために自分は社長に対してどういうアプローチをしていたか、キーとなった経営委員会ではどんな発言をしたか、など、いくつか具体的な話を(ここには書きませんがw)彼に話しました。

それから、これはH君が入社する前の昔話ですが、僕らが若いころには会社はとんでもない無法地帯で、そこにはとんでもない外れ者の社員が少なからずいて、そういう人たちが結構他の社員を引っ張って行ったという話もしました。

僕は昔から、世の中を変えて行くのは(彼に対してはこの表現は使いませんでしたが)一握りの「うさんくさい奴ら」だと思っています。

あの時代はみんなが自分の価値観と思惑で勝手に動いており、若いころ営業局に所属していた僕にとっては、とてもしんどい時代でした。

報道や制作の人たちは「社会正義のために」とか「面白い番組を作る」とか、ひたすらそういうことだけを考えてやっており、営業の言うことなんかまるで聞いてくれませんでした。「営業は敵や」とまで言われました。

下手に「スポンサーの要請です」などと言った日には、「お前はスポンサーの犬か? スポンサーに死ねと言われたら死ぬんか!?」などと言われたものです(これは比喩でも誇張でもなく、上に書いた通りの文言を僕自身が言われました)。

でも、それに対して、当時営業局にいた僕は「会社の売上を少しでも上げることが自分の使命だ」と考えていたかと言えば、そんなことは 1mm たりとも 1g たりとも考えたことはなく、ただただやりたくもない営業の仕事を嫌々やっていただけでした。

つまり、当時はまともな企業、まともな組織とはとても言えない状態だったのです。

でも、活気はありました。うさんくさいやつらが個人の力で勝手にいろんなことを始めて(と言うか「暴走して」と言うのが正しいかもしれません)、他の連中を引きずり回した結果、新しいものがいっぱい生まれていました。

そして、僕ら営業はそういう人たちを巧く乗せて、自分の仕事を巧く進めるために、「このスポンサー要請を実現することによって、あなたの番組にはこんな大きなメリットがある」というストーリーを必死で考えて、必死で説得したものでした。

「スポンサー要請」と言ったら(もちろん断られることもあるけれど)それなりに耳を傾けてくれる今の時代と比較すると、その分僕らは鍛えられたのかもしれません。

ところが、昔はおよそ会社とは思えないような野武士集団だった放送局も、いつしか時代とともに、コンプライアンスやら中期経営計画やらと、どんどんまともな企業になってきて、もはや無法者たちは生きて行けなくなり、誰もはみ出さず、皆が行儀よくルールに従うようになってしまったのです。

猛獣と猛獣使い、旗振り人

そのことを、僕はH君に対して、「社内に猛獣がいなくなった」という言い方をしました。そして、同時に「猛獣とセットで社内にいなければならない猛獣使いもいなくなった」のだと。

そのあと彼とは、「そう言えば、あの人は猛獣だったなあ」、「あの人はそんな猛獣をうまく使っていた」、「あの人は猛獣と言うより、ただの変人かな」などと盛り上がりました。

で、いずれにしても、時代も会社も変わってしまった今、猛獣や猛獣使いを待ち望んでも仕方のないことだし、そういう意味では猛獣に頼らない、何か別の方策が必要であるという話をしました。

その一方で、「どんなに環境を整えても、それだけで自生的に各部署から新しい提案がボトムアップで出てくるなんてことは期待できないんじゃないかな。そこには旗を振る人間が必要だと思う」とも言いました(昔は、そういう旗を振るのは全てテレビ編成部の役割でしたが、今では組織も複雑になってしまって、正直どこなのか、僕には分かりません)。

その流れで、僕らがテレビ編成部に所属していた時に手掛けた夕方ベルト新番組の開発と「タイムテーブル・リセット計画」についても結構詳しく(またしてもここには書きませんがw)、考え方とテクニックを中心に(かつ、できるだけ老人の自慢話にならないように)語りました。

そして、番組の配信が始まったときの話もしました。

番組配信開始の経緯

H君は、番組配信はボトムアップで始まったと思っていたようですが、実はそれは形としてはトップダウンで降りてきたものでした(もっとも、僕はずっと前から配信推進論者ではありましたが)。

当時経営戦略室長だった僕とテレビ編成局長だった N君が社長に呼ばれ、民放連会長の意向を踏まえ、当社もインターネットでの番組の配信を始めるように言われたのです。

N君は僕の1年下で、ともに営業局に所属していたときには苦楽を共にした間柄でした。N君はコンピュータとか IT とかが大の苦手で自らは全く手も触れず、社内の文書も一切手書きという人だったので、「分かりました。編成局はできる限りの後方支援をしますので、経営戦略室主幹で進めてください」と言いました。

僕はそれを拒否して押し返しました。それは経営戦略室なんかが前面に出ても、(かつてのメディア戦略室を吸収合併した組織である経営戦略室では)「新しもの好きの理屈っぽい人らがなんか言ってる」と思われるだけで、誰もついて来ないと思ったからです。

「ここはひとつ、何が何でもテレビ編成局が、とりわけテレビ編成部が旗を降ってほしい。でないと全社的な動きにはなり得ない」と主張して、N君の了解を取りつけました。

そして、できるだけ優秀な担当者をつけてくれるように頼みました。誰とは名指ししませんでしたが、例えば編成部のT君なんかだといいなと内心思っていたら、案の定 N君が選んだ担当者もT君でした。

番組配信がボトムアップで始まったとH君が思っていたのも、ひとえにT君が「上から余計なものを押しつけられた」みたいな素振りを決して見せなかったからだと思います。

まとめとして言ったこと

さて、延々話したにもかかわらず、結局のところ僕の話はうまくまとまらなかったのですが、最後にH君に言ったのは、

  • 新しい提案を出しやすいようにいくら環境を整えてやっても、それだけで新しい提案は多分出てこないということ。

  • (ちょうどハッカソンの時のように)誰かが少し先行して新しいことをおっ始めてみて、それを見ていた彼らに「面白そうだな、参加してみたいな」と思わせることが肝要だということ。

  • でも、(今日はかつて「同じ釜の飯を食った」H君が相手だからこんな話し方をしているけれど)「俺たちの若いころは」みたいな話では若い子たちの心を動かすことは決してできないだろうということ。

  • 誰かがうまく旗振り役を務める必要があるということ。

  • そして、その旗振り役がどれだけうまく旗を触れるかによって成否が分かれるだろう

──というようなことでした。

すでに退職してペラペラ語るだけの僕は呑気なもので申し訳ないですが、H君なら僕の(そして、他にも彼がインタビューした何人かの)話を受けて、あとはうまくやってくれるんじゃないかな、と無責任に思っています(笑)

H君ごめんなさい。でも健闘を祈っています。今の僕にはもう祈ることぐらいしかできないから。


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