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「スラムダンク」になれなかった、やりたいことから引き裂かれた自分、そして今思うこと②

こころは勝手に壊れる

ある初夏の朝、私は玄関から動けなくなりました
催眠術で「あなたの足は床にくっつきました」と言われたみたいに
自分の意志とは関係なく床に足が張り付いて動かないのです

母は私を病院へ
私は「足が動かなくなる」と主張→外科へ
この時、私は本当に足がおかしくなったと思っていました
(まさに鈍感)

そこはさすがに医師
母親を診察室の外に出し(→質問にすべて母が答えていたためだと思います)
私だけに語りかけ
私自身も気づいていなかった
「仲間外れでつらい」という言葉を吐かせました

バスケはその気になれば続けられた?

医師は母と私にバスケ部は退部するように言いました
私は絶対に嫌だと言いました
でも母は、学校に電話をして退部の手続きをしました
母に逆らえない私はジ・エンドですね

どうしてもバスケを続けたかった私は
市のバスケサークルに入りました
が、社会人で構成されたメンバーに中学生が溶け込めるわけもなく
しかも往復1時間歩いて通うことも難しく
バスケの道はあきらめることになりました

私の退部は母の電話連絡で終わったため
私が挨拶をすることもなく、ひっそりと姿を消した形となりました
ファンクラブらしき人が何度か私の教室を訪れ
「もうバスケはしないんですか?」と聞きに来ることが苦痛でした

仲間になるはずだったメンバーの成長

中学2年生の時、球技大会でバスケがありました
私はその当時遊び程度のバスケしかしていなかったのですが
一般の生徒より少しうまいくらいと思っていました

ところが、私のチームはあれよあれよと勝ち進み
(バスケ部のいるチームにも勝てた)
現在2年生バスケのエースとなった人のいるチームと決定戦をすることに

今でも不思議なのですが、結果としては私のチームが勝ちました
2年生のエースは何度も私に1対1をしかけてきました
それにすべて私は勝ちました

思えば、最初からすごい形相でした
きっとバスケ部としてのプレッシャーや
最初の新人戦の私の印象があり
緊張して思うようにプレイできなかったのだと思います
また、私と彼女以外は素人ですから
動きは突拍子もないこともあり
思うように連携はできないでしょう
バスケ部に慣れた彼女だけに
球技大会ではその実力を発揮できなかったのだと思います

彼女に球技大会が終わった後
私は呼び出され、殴る蹴るされました(笑)→なぜノコノコ行ったのか不明
私に負けたことが悔しかったのでしょう(やることが昭和)

でも、私にはわかっていました
バスケを続けていた人とそうではない人の差
それに、これからも私はバスケをできないのです
彼女は1年生の時とは全く違う。すごく上手だった
さすがエース。
彼女はこれからもバスケができる

ただただ、うらやましい、それしかありませんでした

圧倒的な時間の経過を目撃する

その後、私は3年生の時に
彼女たちの卒業試合を見に行きました

私が女子バスケの試合を見に行ったのは
後にも先にも1回だけ
もちろんばれないようにこっそり

勝ち負けは覚えていませんが
かっこよかったです
みんな声を掛け合って
楽しそうに
誇らしげに

うらやましい
あこがれるなあ
楽しいんだろうな

みんなが全員うまくなっていて
きっとつらい時も努力して
みんなで励ましあって
いいなあ、したかったなあ

でも涙はでませんでした
さみしかったけど悲しくはなかった
なんでわざわざ見に行ったのか、いまだに自分の気持ちがわかりません

今思うこと

この出来事は私の人生において重大な影を落とした
それははっきりといえる

でも、がんばっていた

私だけではなく、ここに出てきた登場人物
それ以外の人も、懸命だった
みんな がんばってその時にできることをした

いま、やっとそう思えるようになりました
あの時の自分に、
つらかったね。よくがんばったね
かなしかったね。くやしかったね
そんな風に声をかけられる、今の自分にもよかったねえと言いたい

これが自己受容なのだ
いま、中学生の自分が私に向かって

で、なにするの?

と聞いている

なにしよっか


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