見出し画像

地震を笑った人のこと

私の友達で、ラクイラに住んでいて、震災後ローマに引っ越した友達がいる。

私と彼の出会いは最悪だった。

地震情報サイトINGVterremoti(イタリアの公式機関)で私達は地震の情報を見ていたのだが、ローマでマグニチュード3くらいの地震が起きたとき、彼は笑っていた。

私は看過できずに彼を叱った。ときに人の命を奪い、ときに人の人生を変えてしまい、いまなおたくさんの人が困っているのに、なぜ彼はわざわざ笑った顔の絵文字を投稿したのか?

彼と話をしている最中、彼は彼があの日ラクイラにいたことを語った。そしてあのコメントは、深く思慮した上のものではなく、ローマで地震があった最中に笑ってしまったことをそのまま投稿しただけだと語った。

私はそれを言い訳だとは思わなかった。むしろ彼の必死の叫びなのだと思った。

私に悲しい出来事が降りかかったとき、悲しくて泣くことすらできなかった。あらゆる感情が凍ってしまい、何も感じず、ただただ生理的な笑いを浮かべていた。死んだような笑いだった。

それから4年近くたち、感情は戻ってきたが、悲しいのに泣けないあのときのつらさはよく覚えている。本当にただ笑うことしかできなかったのだ。それはもちろん本当の笑いではなく、自嘲するような、冷めた笑いなのだ。

悲しいときは泣くものだと思っていた。だがそれは違った。悲しいからこそ自然に笑ってしまうこともある。

恐怖は剣よりも深く傷つける。
(ジョージ・R・R・マーティン)

まさにこの言葉のとおりだ。

彼は、語られることのなかった地震の犠牲者なのだろう。