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手塚治虫”人を信じよ、しかし人は信じるな”

私の故郷である、東久留米市は手塚治虫が生前、最後に住んでいた土地でもあります。

「漫画の神様」と言われる手塚先生が社会にこれから出る社会人に向けて講義したことがあります。

一部抜粋ですが、以下がその話です。

あらゆる人を敵だと思わなくてはならないのが、この社会の一面であります。しかしそれでは世の中は成り立たない。いがみあい、突っ張り合い、勝手気ままに生きるだけの社会になってしまいます。実際にそうなりかかっている風潮もあるわけです。
 私は昭和45年に虫プロダクションの倒産を経験する中で精神的に極めて大きなものを得ました。信頼しきっていた人たちには裏切られましたが、反対に、ほとんど無縁と思われていた人が私の窮状をさっして、私を激励し、惜しみない協力を申し出てくれたのです。おかげで私は立ち直ることができました。
 私はこの経験を通して自分なりに座右の銘を作りました。「人を信じよ、しかし、人は信じるな」。四方八方敵だらけの厳しい世の中の荒波を乗り越えてゆくには「人を信じるな」という戒めを忘れてはならないでしょう。そして私が戦時中にいつか平和な世界が来ることを信じていたように、より良い世界の夢を描くことはとりもなおさず「人を信じ」なければできないことです

さて、この相反することをどのように成し遂げていけばいいのでしょうか??


僕は、出会った人を信じていくことが大事なんじゃないかと思っています。

残念ながら僕には”悪い人”と”いい人”を見分ける技術はないので人を見抜くのが苦手なタイプです。


だからこそ、出会った人達を信じていく。

その中で裏切る人、だまそうとする人がいるかもしれませんが、それでも出会った人達”全員”が、そんなふうになるとは思えません。

たった一人に依存しないこと、僕にとってそれが「人を信じないこと」です。

きっと、心から信じた出会った人達の中には窮地に陥ったとき助けてくれる人がいると感じています。

そんな人が一人でもいれば僕は生きていけるとそう思っているんです。


ただ注意すべき点は、手塚治虫先生の作品は愛があり優しさにあふれています。だからこそ助ける人が出ていたとも思います。

世界のこと、周りのことを考えているからこそ、助けようという人が出てくるのではないでしょうか?

手塚先生の言葉の裏にはこんなことが前提としてある気がします。


人に助けてもらう、人とともに生きていくためには人を考えなければいけない

そんなことを手塚先生の作品とこの言葉から感じています。




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