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余寒の京都旅「新熊野神社」三.京の熊野古道


古典の授業は無駄?それとも必要?

「役に立った瞬間は一度もない」と発言したカンニング竹山さんのコメントがインターネットで大きなざわつきを見せましたが、私自身は古典の知識めっちゃ役立ってます。源氏物語では恋心を学べましたし、プレバトの夏井いつき先生が指摘する「けり・なり・や」の違いを瞬時に理解できるのは授業を受けたからこそ。なんならもっと勉強しとけばよかったと後悔してて、石碑や道標の文字が読めなくていつもモヤモヤします。

何が人生の役に立ち、何が役に立たないのか。義務教育って自分と関係ない分野もしっかり学ぶ場所だと思うんです。私が通ってた学校では男子を教室の外に追いやり女子だけが参加する特別授業がありました。そうした影響なのでしょうか、長らく災害時の避難所で女性特有の問題がつい最近まで外へと追い出されていたんです。

マスコミは害悪だ、テレビは斜陽だと言われて久しいですが、芸能人の発言がキッカケで起きた議論って素晴らしいことだと感じています。教育問題って多くの人が動いてようやく始まるものですから。いつも世間に叩かれているカンニング竹山さんですが古典無駄発言は真意じゃない。テレビ局に求められた台本だと私は思っています。だって素の竹山さんって日常ではなんの役にも立たないアメフトを愛している人ですし。

ちなみに私は"地学"が大嫌いで無駄だとずっと思っていました。京都と地質の関係をブラタモリで知ってからは必死に勉強し直しています。「これどこから来た石なんだろう」って。世の中に無駄なものなんてない、いつか役に立つというのが私の持論です。


さて今回の旅ですが熊野古道を歩きます。といっても和歌山の世界遺産ではなく、京の熊野古道です。

後白河上皇が熊野の石や木、土を京都に持ってきて京の都に熊野古道を再現させました。地質学に詳しければ本当に和歌山の土壌なのかどうか現地で確認できたんですけどね。


発心門ほっしんもん王子と梵天ぼんてん滝尻たきじり王子と帝釈天たいしゃくてん
発心門王子は人々を熊野信仰の世界に導く案内神、滝尻王子は聖域熊野の入口を守護する神。これが転じて発心門王子は「心願成就の神、心の神」、滝尻王子は「悪霊退散・家内安全の神、家庭の守護神」として信仰されてきました。ちなみに発心門とは仏法の入口という意味です。

新熊野神社解説板
より引用

入口にふさわしい神様が早速いらっしゃいました。梵天と帝釈天の説明は省略しますが、帝釈天といえば東京柴又が特に有名ですよね。京都だと南丹市に京都帝釋天がございます。


八咫烏やたがらす
八咫烏は日本神話に登場する三本足のカラスで、神武天皇を橿原宮かしわらのみや(即位された場所)に導いた熊野の神の化身です。三本足鳥伝説は世界各地にあり、いずれも太陽信仰と結びつけて「幸運を呼ぶ鳥」というところにその共通点があります。日本サッカー協会が八咫烏をシンボルマークにしたのは、神武天皇を橿原宮に導いたように、ジャパンをワールドカップに導き、優勝させていただきたいという願いが込められているからです。

新熊野神社解説板
より引用

太陽信仰をテーマにしている作品といえば、週刊少年ジャンプで連載されている"ONE PIECE"。日本神話も取り入れているなんてさすが世界の尾田栄一郎先生ですよね。


山が好きな人に笑われるかもしれませんがこの程度でも虫が怖くてビビってしまいます。

自然道が大の苦手。神武天皇は八咫烏さんに道案内してもらったんでしょ?私も案内があれば本場の熊野古道も歩ける気がします。


熊野本宮八葉曼荼羅
熊野は神仏習合発祥地であり、修験道や山岳信仰の聖地でもあります。熊野本宮八葉曼荼羅には、その熊野信仰の世界が描かれています。
曼荼羅の上部には、「役行者と八大童子」、つまり修験道の世界が、中央には熊野十二所権限を始めとする熊野の神々が「仏の姿」で、下部には五体王子(藤代王子・切目王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子)を始めとする熊野の諸王子が、鬱蒼とした大自然と溶け合って同居している様が描かれています。

新熊野神社解説板
より引用

こちらが前回お話した曼荼羅になります。

個々の神々の名称等、質問があれば社務所でお答えしてくれるそうですよ。解説板の最後のほうに書かれていました。まさに神対応。


熊野本宮八葉曼荼羅の左にあるのは八葉の諸仏・諸菩薩を梵字に置き換えたもので、これを梵字曼荼羅といいます。

新熊野神社解説板
より引用


こちらが梵字曼荼羅になります。

アニメや漫画が好きな人は一度は見たことがある文字かと思います。中二病をくすぐる文字ですよね。私は"3×3 EYES"で知りました。


稲葉根王子いなばねおうじ荼枳尼天だきにてん
稲葉根王子は、稲荷神とも稲荷神の姿をした金剛王子とも言われています。稲荷神は東寺の守護神で伏見稲荷大社の御祭神です。東寺の守護神とは土地の神、稲を背負っていることから豊穣を約束する神というのが本来の意味ですが、現在では商売繁盛の神として信仰されています。
荼枳尼天は自由自在の通力を有し、六ヶ月前に人の死を知り、死ぬまでその人の加護する仏というのが本来の意味です。それが転じて、現在では延命長寿と旺盛な生命力を授ける仏として信仰されています。ちなみに、お稲荷さんの狐の根拠は荼枳尼天の乗り物にあります。

新熊野神社解説板
より引用

稲葉根王子こと稲荷神は伏見稲荷大社へ参拝したときに学びました。

京都市内で荼枳尼天を祀る場所といえば真如堂塔頭の法伝寺が有名です。狐が荼枳尼天の乗り物だとはつゆ知らず。よく見ると確かに思いっきり乗っかってますね。

伏見稲荷大社にある狛狐は明治以降に流行したと聞きました。近代になると荼枳尼天と狐の結びつきが薄れてしまったのでしょうね。ちょうど廃仏毀釈の時代でしたし。


屋外展示ってどうしてもガラスが曇ってしまうのが大きな欠点になります。風雨や紫外線って強烈ですからね。綺麗な画像をご覧になりたい方は公式サイトの境内案内へ。でもせっかくなので私の画像も見て頂けると嬉しく思います。


後白河法皇坐像といえば長講堂が有名ですが、ここではいつでも拝見することが出来ます。


文覚荒行もんがくあらぎょう(平家物語巻五)
文覚上人は高尾の神護寺を再興した高僧で、俗名を遠藤盛遠と言います。故あって十九歳で出家し、那智の滝での荒行は現在でも語り草になっています。あまりの荒行に息絶えた文覚を再び蘇らせたのが、不動明王の命を受けた矜羯羅童子こんからどうじ制多迦童子せいたかどうじで、不動明王の守護を得た文覚は、その後も全国の霊地で修行を重ね、やがては祈祷で飛ぶ鳥も落とす「刃の修験者」と呼ばれるようになりました。

新熊野神社解説版
より引用

左から順に制多迦童子せいたかどうじ弥都波能売神みづはのめのかみ矜羯羅童子こんからどうじになります。

真ん中の不動明王こと弥都波能売神が、両脇の矜羯羅童子と制多迦童子に命令して文覚を助けました。バラエティ番組でリアクション芸人さんが滝行をしてますけれども普通に命を落とすことがあるんですね。


文覚上人は、私が京都検定二級試験対策でめっちゃ勉強したうちの一人です。平家物語で袈裟御前の悲恋を知り、その後"京都の三尾"で神護寺の歴史を見た時に驚愕しました。え?まって?後白河法皇と渡り合って寺の再建に尽力した文覚上人と遠藤盛遠って同一人物なの?

ちなみに袈裟御前と遠藤盛遠の悲恋話は創作だとされています。源氏物語もそうですが、数百年前からみんなNTRストーリーが大好きだったんですね。


朝日が京の熊野古道を照らしていました。全部和歌山から京都へ運んだものだなんて信じられません。


熊野三山くまのさんざん
本宮は熊野川と音無川が合流する地点の中洲にありました。そこを大斉原おおゆのはらというが、1889年の洪水で社殿が流出したため、現在地に移築されました。大斉原の入口には現在でも日本一の大鳥居が建っており、往時を忍ばせています。
那智山一帯は滝を御神体とする自然神信仰の聖地で、そこには大小六十余の滝がある。そのうち四十八滝(那智四十八滝)が滝篭たきごもり修行の行場として使われていました。元々は、この四十八滝を総称して「那智の滝」と呼んでいたが、現在では、このうちの「一の滝」(那智大滝:落差百三十三メートル)を「那智の滝」と呼んでいます。
速玉を新宮といいますが、これは熊野の新宮ではなく、元々は熊野川の河口、神倉山の山頂にあった。現在でも神倉神社としてその名を留めているが、神倉神社が速玉の本宮もとみや、それが現在地に下りてきたため新宮と呼ばれるようになりました。ここでは速玉の火祭りを描いており、天上から降りてきた神の御霊が熊野灘の彼方(浄土)に帰っていく様を描いています。

新熊野神社解説版
より引用

左から順に、「那智の滝」「大斎ヶ原おゆみがはら」「神倉山・ことびき岩」が描かれています。

この絵を見て京の人たちは熊野に思いを馳せていたんでしょうね。


おっ出口の階段。

足腰の弱い私。手すりに掴まりながら恐る恐る一段また一段と足を前に差し出します。


ふぅ。踏破したぞ。

時計を確認するとちょうど10分。虫も山登りも苦手な私にとってはちょうどいい熊野古道となりました。ありがとう後白河上皇様。

ごめんなさい、もう少しだけ続きます。


(左)
軻遇突智神かぐつちのかみ
文殊菩薩もんじゅぼさつ
(中)
埴山姫神はにやまひめのかみ
毘沙門天びしゃもんてん
(右)
軻遇突智神かぐつちのかみ
普賢菩薩ふげんぼさつ

サブカル界隈では"フィギュア"や"擬人化"が大人気ですが、元を辿ると仏像だったり神の仏化だったりと、実は古来からあるものが由来なんですよね。

アイドルという言葉も偶像が語源となっていますし、日本人は無宗教だと言われていますが単に形を変えただけと言えます。


花の窟はなのいわと神社
花の窟は三重県熊野市有馬にあり、日本書紀にはイザナミ命の埋葬地と記されています。現在は切り立った大岸壁の前に鳥居が建っているに過ぎませんが、熊野信仰の原点ともいえる場所になります。春と秋に例大祭が行われますが、その時には長さ一七〇mの〆縄が張られ、そこに季節の花や果物・扇などが吊り下げられます。

新熊野神社解説版
より引用

京の熊野古道についてはどうしても一気に紹介したくて大変長くなってしまいました。これが最後になります。

仏教に影響を受けているのでしょうね。花が捧げられ、花という名前が付いているのが素敵です。


かんたんにまとめるつもりが大変な文章量となってしまいました。今回はここまでにしたいと思います。

次は新熊野神社編の最終回。梛さんと大樟さんを紹介します。



今回の参拝スポット


追記

note公式マガジンに記事が掲載されました。ありがとうございます。


『旅のフォトアルバム』『日本史がすき』二部門で、スキの週間一位を獲得しました。皆様ありがとうございます。感謝!!

2024/03/04


2024/03/05



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