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174.精密検査〜結果〜

精密検査当日

⚫︎午前4時半
アラームで目を覚ます。まだ暗く、太陽は出ていない。しばらく布団の中で時間を過ごし5時に布団を出た。部屋中の窓を開け放ち、空気の入れ替えをする。その間に寝癖を治し、歯を磨く。そんないつも通りの朝。

だがそれもここまで。

私は2リットルの下剤《ニフレック》とコップをテーブルの上に置いた。これを飲み干し、腸内の便を全て出し切る長い旅。

⚫︎午前5時30分
下剤スタート。200mlを15分かけて飲む。これを10セット。

飲み始めて約1時間、4セット目の終わり頃に気付く。

《全然ウンコが出る気配が無い》

これはいかん。出さねばならぬのだ。やるだけやって『出なかったっす』じゃ駄目なのだ。『出し切らないと検査は出来ません』そう病院から言われているのだ。

下手に誤魔化して検査を受けた結果『ウンコが邪魔で腸内が見えません』じゃシャレにならない。ケツからカメラを突っ込んだのに後日再検査となればカメラの入れ損だ。

とりあえず便意は無いが、便座に座ってみる。すると少し出た。これが呼び水となって全て出てくれれば良いのだが、6セット(1時間半経過)が終わっても何ともない。

これはいかんと、対策を考え出した7セット目あたりに便意が来た。そこからはあれよあれよと便意の嵐に見舞われ、ニフレックを飲み終えた後も止まらず合計約10回の排便を致す事になった。下剤恐るべし。

⚫︎午前10時
準備をして家を出た。出すものは全て出し切った。すっかり便意も無くなり、検査を受ける態勢は整っている。

⚫︎午前10時15分
早めに病院へ着く。受付を済ますと《予定より少し早めに検査出来そうです》と言われた。昨日までなら《いや、もう少し心の準備の時間をください》と言ったかもしれないが、もう迷いは無い。覚悟は決まっている。

名前を呼ばれ、別室に行くと着替えをお願いされた。『これを履いてください』と渡されたそれは紙パンツ。というか、ペラッペラな紙ハーフパンツ。『穴の空いている方をお尻側にして履いて下さい』と言われパンツを手に持つ。

なるほど。確かにお尻の方に穴が空いている。おかしな構造だ。インテリジェンスというものが全く感じられない。《医療の名の下、非常識な事がここでは常識となっているのだな》と考えながら着替える。

『着替えました』と看護師に伝える。普通に会話を交わしているが、今私のお尻には穴が空いている。そんなシチュエーションになんとも言えない気持ちになったが、ここではこれが正装。堂々と看護師の案内に従い別室に移動する。

案内された部屋に着くと少し驚いた。医療機器に囲まれた部屋。そこには準備万端な先生がいる。

数日前聞いていたスケジュール的には時間を置いて11時30分から検査だった。少し早まるとはいえ11時頃だろうと想像していたが、様子がおかしい。

『あの、もう検査ですか?』

『やってしまいましょう』

前倒しにも程がある。

⚫︎10時30分
精密検査スタート。

診察台に寝転がると、看護師が私の腕に安定剤を注射し始める。少し時間を置いた後、言われるがまま先生の方にケツを向けると『じゃあ始めますね。ゼリー塗ります』とゼリーを塗った直後、肛門に何かが入ってきた。多分指なのだろうか。『(あ゛あ゛あ゛)』と心の中で声を上げる。

そして『(あ゛あ゛あ゛、大変な仕事だあ゛)』と思った。この方はこうして日々他人の肛門にアクセスしているのだろう。そう考えると、先生を少し労いたくなった。

気付くとモニターに私の腸内が映し出されていた。初めて見る我が体内。多少感慨深いものがあったが体外的にはそんな悠長な事は言ってられない。腕は注射の針を刺しっぱなし、肛門にはカメラを差しっぱなし。その状態で『上向いて下さい』『横向いて下さい』と体位を変えなければならない。カメラを大腸の奥、盲腸あたりまで進出させたいらしい。痛くは無いのだが、圧迫感が押し寄せてくる。

しばらくすると『奥に到達したんで、これから戻りながら観察していきますね』と、共に腸内を見る。ウンコの一欠片もない腸内をカメラが進んでゆく。『ふむふむ』といった具合に先生が確認しながら進む。

度々、カメラの動きを止めて写真を撮っているがそれが何を意味するのか私には分からない。『(どうなのだろうか)』という気持ちになった頃、『今大体半分くらいの位置ですけど、今の所は大丈夫ですよ』と声を掛けられる。少しだけ安堵しながら画面を眺め続けた。

それからも淡々とカメラは進み、時折写真を撮るの繰り返し。そろそろ終盤かなと感じていた所で先生が一人言の様に声を発した。

『ああ、これかな』

何かが発見された。

『これ分かります?少し赤くなっている所』

確かに腸壁の一部に赤みを発している箇所がある。

『・・・わ、分かります。赤いです』

『肛門に近い所なんですが、排便する際、硬い便がここを切って血が出たんだと思います。その血に検便が反応を示したのだと思いますよ』

『そ、そうですか。で、検査的に私の腸はどうなのでしょうか?』

『キレイな腸です。問題ありませんよ』

《よっしゃあああ!!》などと歓喜に沸きたい所ではあるが、そういった気持ちの昂りが出てこない。ただ実感が沸かないだけなのか、はたまた安定剤の効果なのだろうか。

これから1時間程休んだ後、帰宅する運びとなる。穴の空いたパンツを捨て去り着替えを済ますと、別室に通され横になって休んだ。

早起きだったせいかウトウトしてくる。私は遠のく意識の中で

『(・・・要は切れ痔って事なのかな・・)』

そんな事を考えながら少しばかりの眠りについた。

こうして私の精密検査は終わった。


これが私が体験した1カ月の出来事である。


全てを終えた今、心から"何もなくて良かった"と胸を撫で下ろしている。

この一カ月、多分大丈夫だと気楽に過ごした期間もあったが、大袈裟ではあるものの、本当にガンになり余命幾許(いくばく)もないかもしれないと思い込んで過ごした時もあった。その時に何が大事かを見つめ直したり、ふと思い浮かんだ数々の人の顔があった。窮地に追い込まれた時私はこんな思考になるとか、色んな事を考えさせられ、様々な学びがあった。

私は心のどこかで死というものが目前に見え隠れしたらそれを淡々と受け入れて行くのだろうと思っていた。本当は【日々悔いのない様に生きてきたから、今終わっても心残りは無い】などと言えたら格好良かったのだろう。そこまでいかなくとも日々自分に出来る事を積み重ねてきたつもりだったが、実際にその局面が訪れると"まだ早い"とか"あれやりたかった"とか"これがあるからまたダメだ"とか思いの外ジタバタしてしまった。

私の本心はもっと強欲で、実はこんなにも生きたいと思っていたのだと知る事が出来た。

今は安堵と共に少し生まれ変わった様な気持ちすら芽生えている。もしかしたらそれは、ただの開放感からくるものかもしれないが、いずれにしても私の人生をこれから歩む上でどう生きていくか、そんな事に影響が及ぶ様な出来事だった。

そして今回、病気などで気が沈む人の気持ちも知れた。世の中には実際に病気になってしまい、私が体感したあの感覚より深い深度でその現実に直面している方々が数多くいるのだろう。それを思うと自身の体感と重ね、心が苦しくなる次第である。

ご家族や身の回りの方のフォローで助けられる部分もあるかもしれないが、その前にまず自分の心と折り合いをつける闘いがある。そんなせめぎ合いを重ね、受け入れ、今も生きようと日々前を向いている方々に深い敬意を示し、その想いが成就する事を願っている。

たまたま私の場合、持ち前の運の良さで"何も無かった"という結末を迎えたが、中高年に限らず、若年の方も舐めずおごらず、自己管理をしたり、元気でいるという事を見直していただきたい。せつにそう思う。

おわり

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