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「自尊心」という厄介な敵

 もし自分と対峙する相手が、明らかな間違いを犯したら。
 責任ある立場の人が、許されない場面で失言をしたら。
 即座に指摘して質そうとすると、相手の自尊心を傷つけてしまいます。
 でも間違いは事実ですから、放置はできません。
 どうしますか。
 考えられる対応はいくつかあります。
 一つは、質問をすること。
 自分が理解不足な部分があったかもしれない、と切り出して「もしかしたら○○だったかもしれません」とさりげなく正解を織り交ぜるのです。
 そして、相手の間違った論理の焦点を修正する方法を明確にしていきます。
 もう一つは、相手の話を聞き出し何を意図して間違った論理を話したのか最期まで話してもらうのです。
 その過程で、間違いに気づくはずです。
 人間は、自分の考えを改めるのが難しいものです。
 自尊心が障害になるからです。
 論理は自尊心を守るためにあると言えます。
 議論はお互いの論理を強め、満足感を得るために行われます。
 真理を追及したければ、議論するべきではありません。
 結局、崇高な真理は自分の足で一歩一歩地面を踏みしめて進み、見て聞いて、物から学ぶしかありません。
 だから、人を論破することなど考えるべきではない、くらいのつもりでいればいいのです。


「利益」をもたらすコンテンツは、すぐに廃れます。 不況、インフレ、円安などの経済不安から、短期的な利益を求める風潮があっても、真実は変わりません。 人の心を動かすのは「物語」以外にありません。 心を打つ物語を発信する。 時代が求めるのは、イノベーティブなブレークスルーです。