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電車★鉄道中心の都市計画は制度疲労がはなはだしいと思う

 電車について、小説を一本書いた。
 利便性を感じるよりも、朝夕のラッシュの凄まじさをまず考える。
 駅まで移動して、電車に乗るまでに長い階段を上り下りする。
 駅近の物件が高騰し、デパートやスーパーも自然と駅近が繁盛する。
 大都市は駅を中心に発展してきたといってもいい。
 だが、自動運転車という、とんでもないものが実用化されようとしている。
 もしこれが市場に現れたら、瞬く間に社会のインフラになるであろう。
 なぜなら、サラリーマンが周りを気にせず安全に居眠りしながら通勤できるのだ。
 スリに遭うことも、朝帰りの酔っ払いに絡まれることも、痴漢に遭うことも、
 機嫌が悪い人に怒鳴られることも、人の圧力で骨折することも、
 感染症の心配をする必要もないのである。
 メリットを挙げればきりがない。
 数百万円投資する価値は充分にある。
 こんな夢のような話があるだろうか。
 可能性として、自動運転車は安全だから車体を小型化できるはずだ。
 そうなれば、道路をもっと有効に活用して交通渋滞も減らせる。
 
 時代に合わないインフラは、心の病気を増やし、経済成長の障害になっていると思う。
 メンタル不調になった人は、電車に乗れなくなるケースが少なくない。
 裏を返せば、そのような人たちは電車に乗らない生活ができれば、メンタル不調にならないのではないだろうか。
 少なくとも、鉄道中心の都市計画は制度疲労がはなはだしい。

「利益」をもたらすコンテンツは、すぐに廃れます。 不況、インフレ、円安などの経済不安から、短期的な利益を求める風潮があっても、真実は変わりません。 人の心を動かすのは「物語」以外にありません。 心を打つ物語を発信する。 時代が求めるのは、イノベーティブなブレークスルーです。