写真と散歩〈19〉花の一生
前夜
一月下旬。
ふと、昔のことを思い出す。
写真に没頭していたのは、もう四年も前のことだ。
あのころ僕は、突然、写真のおもしろさに目覚めた。中古の安い機材を買い集め、本を買い漁って勉強して、毎日のように撮影に出た。
そして、はじめて一年くらいした時、「撮影した時の状況や、その時の自分の気持ちを記録したい」と思い、この『写真と散歩』をはじめた。
正直、ほとんど読まれなかった。フォロワーが数人だったからだ。
それは虚しくもあったが、今思えば、それで良かったと思う。読者がいなかったからこそ、写真を撮る時、自分と被写体だけの世界に集中できた。
私は写真を「被写体との対話の記録」だと思っている。それは被写体が人間に限った話ではない。花でも石ころでも、それがどんなことを感じているか、撮影者はその声を聞かなくてはならない。そして、自分の心にも敏感になって、被写体と自分との間に芽生えた心の触れあいを、その場の空気も含めて写真に記録するのだ。
写真とは、友達とすごした一時のようなもの。それを記録しただけ。だから、私にとって写真は自己表現ではないし、まして、その写真を見た人がどんなふうに感じるかがゴールになってしまってはいけない。
しかし、もしあの頃、読者がいたら、はたして自分は被写体と真剣に向き合えたかどうか?自信はない。
撮影によく行っていたのが冬だったからか、寒い一月の今日、そんな昔のことを思い出した。
そして、久しぶりに、明日は写真を撮りに出かけようと思った。
あんなに熱中していた写真であるが、実はある一枚を撮ったとき、私は撮るべきものを遂に撮れた気がして、それ以来、夢から覚めたみたいにパタリと写真を撮らなくなった(前回〈18〉参照)。
しかし、明日は極寒で、雪も降るかもしれない。なんとなく写真が撮りたくなってきた。どうも私は、冬に撮りに出るのが好きらしい。
昔はカメラ二台、レンズ数本を抱えて一日中歩き倒したが、さすがにいきなりその再現はしんどい。コンパクト機一台だけ持って出よう。
機材よりも、写真を撮っていた時の精神を思い出すことが重要だ。被写体との会話に集中すること。だから、できるだけ読む人の存在は考えないようにして、あの頃みたいに、被写体との会話とその記録に徹したいと思う。
〈↑〉FUJIFILM X20。写真にハマる何年も前に、デザインに惚れて買った。その時はたいして撮らなかったが、四年前、ファッションアイテム感覚で持ち歩いているうち、写真を撮る楽しさに目覚めた。
朝
今日は最高気温が1℃、最低気温は-5℃という極寒。朝起きたら底抜けに寒く、ふとんから出るのもためらわれる。
「出るのやめようかな」
一瞬、怠惰な自分が顔を出したが、窓の外を見て驚く。
「雪だ!」
晴れ間はのぞいていたが、ちらちらと雪が降っている。積もるほどではないが、日陰には消えそびれた雪が白く残っている。
このテンションに任せて服や荷物の準備を整え、12時ごろ家を出る(遅)。
風と雪
久しぶりの撮影なので、カメラを適当にいじくり回す。
〈↑〉とりあえず撮れた。
それにしても寒い。そして風が強い。なかなか撮影には適さない天候だ。
〈↑〉風になびく細い木。
〈↑〉路地裏の雪。
ただ、晴れているので、雨あがりならぬ雪あがりの風景が撮れそうだ。
〈↑〉植え込みに残る雪と木漏れ日。小さな日本庭園みたいだ。
ちょうど昼ということもあり、町中には人がちらほら。その辺のスナップ。
曇り
今日は歩いて二時間ほどのブックカフェに向かう。その道すがら撮影するのだ。そのカフェは山を越えた向こうにある。途中、山あいの道を通るので、植物なども撮影できそう。
しかし、だんだん曇ってきた。
しかも、雪まで。
風にのって吹きつけてくる雪。ちょっとした吹雪だ。ただ、服装は万全。
〈↑〉毛足の長いコートに黒のずだ袋。
道行く人もさぞ寒かろう。
と思ったが……
〈↑〉そうでもないらしい。
〈↑〉赤信号へ突撃。
パンジー
花壇に花が咲いていた。
〈↑〉パンジー?
これをどう撮るか。上の写真は、とりあえず全部を画面に収めただけ。なんの感動も伝わらないし、なにより花が見えない。
すべての花を収めるには、こうするしかない。
〈↑〉横から撮った。あと、たぶんさっきの人が引き返してまた写った。
しかし、これでは花の姿がよく分からない。もっとアップで。
〈↑〉蕾は下を向き、花びらが開くと上を向くらしい。
反対側の花も撮ろう。
〈↑〉こちらは二色。
花は欲張ってぜんぶを写さないことも大切だ。広く撮ると、その周囲の華やいだ雰囲気は伝わるが、一輪ごとの魅力は捉えることができない。
歩きながら何枚かスナップ。
ここから先は
¥ 100
Forever 19 summer vacation !