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レ・ミゼラブル(一)

レ・ミゼラブル(一)/ユゴー著

佐藤朔(さく)訳

第一部ファンチーヌ

パンを盗んだことで19年間牢獄に入れられていた男、ジャンバルジャンがミリエル司教と出会い改心する。ジャンバルジャンはマドレーヌと名前を変え、商売に成功し、巨万の富と名声を手に入れる。そんな彼の元で働いていた不幸な女、ファンチーヌは貧しさのため、一人娘であるコゼットを宿屋のテナルディエ夫妻に預けなければならなかった。


ミリエル司教が何よりも魅力的な人物だった。勇敢でかつ、貧しさの中に贅沢さを見つけるユーモアを持ってる人だと思った。ジャンバルジャンが司教に出会って変わっていく話だから、読んでる側からしても影響力のある人物だと思う。

150年以上前に書かれたものなのに、著者の成功に対する考え方に共感できた。なんとなく考えてたけど言葉にできなかったことを明確にしてもらって、読んでて興奮した。


・お気に入りの文章

ミリエル司教の言葉

迷ったり、怠けたり、罪を犯しても良いが、正しい人であれ。(p28)
泥棒や人殺しを決して恐れてはいけない。彼らは外部の危険で、それは小さな危険だ。私たち自身を恐れよう。偏見、それが泥棒だよ。悪徳、これが人殺しだ。大きな危険は、私たちの内部にある。私たちの首や財布を狙うものは、大したことはない!私たちの魂を狙うものだけを考えよう。(p53)


誰よりも献身的に他人に尽くすミリエル司教が他の司教たちから避けられていることに対して、「真に偉大であること」と「社会的な成功」との違いを著者が皮肉った文

われわれは憂鬱な社会に生きている。成功する、ということは、腐敗している天井から、したたり落ちる警告なのである。ついでに言うが、成功とはかなりいやらしいものである。成功は価値と似ているように見えるために、人は騙される。大衆にとっては、成功と優秀とは、ほとんど同じ顔をしている。....現代では、ほとんど公認された哲学が、成功の下僕となって住み込み、成功のお仕着せを着て、控え室で勤めている。成功せよ、これが理論である。....勝ったものは、尊敬される。幸運に生まれよ、それがすべてだ。....説教師が猫撫で声で司教になる、名家の執事が辞職するとき大金持ちになり、大蔵大臣にしてもらう、世間ではこういうことを「天才」と呼ぶのである。....彼らは、大空の星座と、アヒルの脚が柔らかい泥の上につける星形とを、混同しているのである。(p99)


ミリエル司教がジャンバルジャンを夕飯に招いた時の一コマ

突然、司教が言った。「何か足りないようだね」マグワール夫人は、事実、絶対に必要な三人前の食器しか出さなかった。ところが、司教が誰かを夕飯に呼んだ時は、無邪気な見栄だが、六人前の銀の食器をテーブル・クロスの上に並べるのが、この家の習慣だった。この優しい見栄の贅沢は、貧しさを威厳にまで高めていた穏やかで、しかも厳しい家での、魅力にみちた一種の子供らしさだったのだ。(p148)


スタイルとは容姿、リズムとは立ち居振る舞いを意味する。

彼女(ファンチーヌ)は、スタイルとリズムの両方からいって、美しかった。スタイルは理想の形態であり、リズムはその動きである。(p239)



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