北杜でのリトリートを迎えるにあたって
いつもありがとうございます。山田です。今回は、来る11月5,6日に山梨は北杜で開催するリトリート「Re.treat」についての雑文です。なにぶんイベントページが簡素なものですから、個人的体験と考えを付記したく立ち上げたのです。散文調で書いていきますので読みづらいところもあるかと存じますが、ご容赦ください。
テーマについて
Re.treatは3人のチームで企画運営しており、mtgはなるべく回数を重ね、じっくり行う雰囲気です。テーマはまだ確定していないのですが、自分の中で「ここかな?」と思うところとして、【分かり合えなさを分かち合う】が湧いています。
対人援助の仕事をしていると、やれ共感だとかやれ傾聴だとか言って、やさしい雰囲気があるわけですが、本質的には「やさしく」ある必然性はないわけです。大事なのは「他者性ー他者であることー」を尊重することです。最終的には誰も誰かを分かり得ない、交わらない孤独が存在する。その他者が抱える独自の孤独に土足で立ち入らず、評価せずに関心と不思議さに驚嘆する感覚を持ちながら共生することが要るのです。
Re.treat#1を開催したとき、僕は「人と交わる」「他者とつながる」という僕の人生来し方では珍妙な体験をしました。一方で、しっかりと孤独でもありました。北杜は清泉寮は清里高原の雄大な自然に囲まれています。牧草地も周囲に広がっています。山腹にすっぽりと収まる根源的安心感を感じつつも、広い牧草地がゆえに遠くを仰ぐことができ、空も広い。
この環境が、まさに「交わり」と「孤独」をバランスよく、あるいは同時に感じさせてくる舞台装置となっていたかのようでした。
リトリートとは何だろうか
前回同じ場所北杜は清泉寮エリアでRe.treatを開催した時が、僕にとって初めてのリトリート体験でした。期待と懐疑が入り混じり迎えた当日でしたが、大変いい体験だったというのが本音です。だからこそ、「リトリートって何だろう」と考えてしまう。
リトリートは、「Re.treat」とあるように、接頭辞reとtreatで構成されます。reは「再び」とか「後ろに」とかで、treatは「扱う」「治療する、手当する」「受け止める」などで、名詞としては「もてなし、特別な楽しみ」という意味があります。
自然で行うリトリートは、非日常時間・空間であることを通して「日常扱わないことを扱う」というニュートラルな役割から、「日々の傷や痛みを手当てする」「苦しさや葛藤を受け止める」といった向き合うニュアンスの時間でもあり、終いには「純粋に特別な楽しみ、自分へのもてなし」でもあるわけです。
もしかすると、Re.treatは空間的・時間的に非日常かもしれません。何かを学んで、すぐに「日常」で活かすといったことはないかもしれない(あるかもしれないが)。それでも、非日常で特別な空間・時間を活かして、自分を味わう機会なのだと思う。日々は過ぎゆく、苦痛はなくならない、心配ごとは尽きない…そんな心の動きをじっくり眺めるところに面白さの一つがあるかもしれない。
場所について
言葉を尽くすより、写真を紹介した方が嬉しいので、たくさん貼ります。11月の清里は、写真と同じでありながら全く違う顔つきを見せてくれるのだと思います。
イベントページ
ぜひお越しください!一足早く白い息を吐きながら、ご一緒できることを楽しみにしています。
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