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映画感想文 「籠の中の乙女」 を見て

映画「籠の中の乙女」のを見たので感想を書きたい。紹介文を並べて概略を示すと

籠の中の乙女』(かごのなかのおとめ、ギリシア語: Κυνόδοντας、英語: Dogtooth)は、2009年ギリシャのドラマ映画。監督はヨルゴス・ランティモス
第62回カンヌ国際映画祭で上映され、ある視点賞を受賞したほか、第83回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。

wikipedia 籠の中の乙女

ギリシャの郊外にある裕福な家庭。一見普通にみえるこの家には秘密があった。両親が子どもたちを外の世界の汚らわしい影響から守るために、ずっと家の中だけで育ててきたのだ。

以上のようになる。男一人と女二人の兄弟が家の中で育っているという設定だ。子供といっても、たぶん20歳以上で大人といえる。小さい子供をイメージすると裏切られる。演技は抑制的でセリフ棒読みのようにも感じられる。そういう演出は、私は好きなので面白い。

さらに言えば家の中だけといっても、裕福な家なのでかなり広い。庭にはプールもある。父親は工場の経営者でブルジュワジーの家という感じだ。閉じ込められて悲惨な生活をしているというわけではない。ただ塀がありそこから出ることは許されていない。厳格な線が存在する。

でも考えてみれば私も大して変わらないのではないかと考えてみる。日本という国があり、そこには国境という線がある。自由に出ていけるといっても、日本から一生出ない人もいる。私も私の住んでいる町から出るのはそんなに多くない。誇張されているだけなのだ。こう考えるのは読みが浅いかもしれない。それは狙いの一つではあるだろう。

映画の中で姉妹の一人が映画を見てしまう。「ジョーズ」と「フラッシュダンス」「ロッキー」を見る。それは衝撃で女は外に出ることを決意する。

兄がギター弾き、音楽に合わせてしまいが躍るダンスシーンがある。このシーンがよくて印象に残る。

下手なやり方で「フラッシュダンス」をまね、「ロッキー」をまねる。激しくダンスを見よう見まねで踊る姿が素晴らしい。外とは映画からもたらされるというのは映画製作者としての矜持だろうか。

この映画の中では外とつながるのは自動車や電話、映画、兄のセックスのために雇われた、会社の社員だ。現代のテクノロジーと人間の欲望が外とつながっている。記号とシンボルとが外とをつなぐのだ。

外とはどこにあるのか、それは内と外とをわける線の向こう側である。記号とは常に線を挟み、向こう側へと投げられるものなのだ。届くかどうかもわからずに向こうへと投げられる。投げられたものを受け取る。外へと誘惑される。それが外というものだ。私にできることは外から記号を受け取り、下手なダンスを踊ることのみだ。

ダンスシーンはほんとに最高なのでぜひ映画で確かめてください。






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