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自我と世界をつなぐ秘密の通路

 私にとって秘密とは不思議な語感を持った言葉です。世界には秘密がある、隠された何かある、そう考えると世界は未知のものにあふれた冒険するものとして現れてきます。科学者は自然の中に隠された法則があると考え、実験室で材料を混ぜては計測します。その目は真剣で、まだまだ知られていないことがあるのだという確信に満ちています。

 一方で秘密とは私的なものです。誰にも言わないもの、隠されているもの、そうであるがゆえに秘密です。秘密とは、過去の出来事であることもあります。あるいはひそかに持っている欲望のことかもしれません。秘密とは過去から現在へと続く制約であり、ありうる未来の形を作るものです。

 人間の脳は極めて柔軟です。例えば、脳梗塞で脳の一部が失われても、ほかの脳の部分が代替して機能します。脳の機能が変化するのです。もっと簡単な例でいえば、自転車に乗ることがはじめはできません。ところが訓練することによって自転車という道具と身体がつながるようになります。脳と身体と自転車の関係が作られるわけです。脳は柔軟にできていてダイナミックに変わります。

 身体とはただ物としてあるだけでは身体と感じることはできません。人間の身体は動くことによって力を発揮します。身体を自由に動かせることによって、可能性を広げ、冒険を行えるようになります。

 しかし、人間の脳はコンピューターとは違います。いったんできたものを簡単に消去することはできません。身体の動きもいったん作られれば、変な癖であろうと取り去るには多大な労力を使います。過去の記憶をコンピューターのように簡単に消し去ることはできません。記憶は忘却によるしか消えることはありません。そして内部に残ったものとして秘密があります。

 秘密は隠されています。私の内部にあるものであり、私のほかには知られていないものです。私と外部を分かつものです。私と他者を分けるものとも言えます。秘密が誰かに向かって語られるとき、特別な関係を期待します。ある種の共同体の形成であり、自己の拡張とも言えます。秘密とは内部と外部の境界のしるしなのです。

 秘密を持ち続けるとは自己を保持し続けることになります。秘密を共有するとは他人との通路を開くことになります。自己開示をするべきとする意見もあります。あるいはカウンセリングのようなものを期待することもあるでしょう。
カウンセリングは秘密を別のものへと送ります。でも、それほど深刻なものではなくとも誰でも秘密の一つや二つ持っているものです。

 秘密を生きてしまうことがあります。秘密を生きるとは、秘密によって世界を構造化し、意味を発生させることです。でももしかしたら、秘密は自身を変身させる契機になるかもしれせん。問いを発し変身する出来事を起こせるかもしれません。それもまた冒険なのです。

追記

 後で考えてみると見た後ずっと書くことができなかった。映画「あなたになら言える秘密のこと」について書いていることにきずきました。半年ほど寝かした感じでした。かけてよかったです。


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