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"働く"とはいかなる営為か?

37年ぶりに帰った郷里で働きはじめて1ヵ月が過ぎた。東京で働くのと、これほどまで違うものかと愕然としている。働いて3日目で辞めたくなった。グッとこらえて1週間。ググっとこらえて1ヵ月。もつにはもったが、展望は見えない。終業時間が来ると、逃げるように退勤する毎日。大学を卒業してから32年、いろんな職場で働いてきたが、こんな就労は初めてだ。なぜこんなことになったのだろう?

東京では、本や美術や音楽に関わる仕事をしてきた。マスメディアの世界にポジションを得て、東京から情報を発信できる喜びを感じながら働いてきた。石巻に帰っても、同じような仕事に就けるとはさすがに思わず、何をして働くかは二の次三の次だった。石巻で働ければ何でもよかった。その覚悟はできていたし、自信もあった。それがたった3日で砕け散った。情けない。

仕事とは何か、働くとは何か、という根源的な問いをこれほど考えたことはない。いわゆる職業観、労働観については、予備校時代というわりと早い時期に確立できていた。80年代末から90年代にかけてのバブル景気の追い風もあって、その職業観を改める必要を感じないままに50代後半まで働くことができた。今回、その旧式の職業観をアップデートしないまま会社に辞表を出し、郷里にUターンする決意をしたわけだが、完全にスタックしている。言ってみれば、サマータイヤからスタッドレスに履き替えないまま雪深い山道を登ったようなものだ。雪道でとん挫し引き返したくても引き返せない状況。降り積もる雪を前に、途方に暮れている。

要は「復興のために働く」というモチベーションだけではどうにもならない、ということだ。これまで東京の出版社で、読者が待ち望む商品(本や雑誌)を作り出す協働作業のなかに自らを置き、スキルを機能させることで「働く喜び」を感じていた。恵まれた職場環境(文化の薫り高い都心エリア)、恵まれたスタッフ(硬軟さまざまな話のできる知識水準)、そして一定程度の報酬と社会ステータス。そのポジションにたどり着くまで新卒から20年近くを費やした。転職に失敗してつらい時期もあったが、思えば人生を賭するにふさわしい事業でもあった。苦労して手に入れた職位を敢えて捨て、復興の道なかばにある郷里に裸一貫で帰るというパフォーマンスをやってみたわけだが、今のところ「大失敗だった」と言わざるを得ない。

「仕事とは何か?」と尋ねられれば、今の自分は「雇用主とのトレードオフ」と答えるだろう。何がしかを提供する代わりに報酬を得る――単純なことだ。東京で働いていた頃は、そこに自己実現的な意味合いを加えていた。今回は石巻で働くことを重視したので、自己実現を加えなかった。自分にやれること(スキル=ファンクション)を提供し、報酬を得ればよい。その「取引」が採用という形で決定し、喜んで住民票を移し、スーツを買いそろえ、車通勤と言われて車を買い替え、朝6時50分に起きて弁当を作り8時に出勤する毎日を送っている。「それに何の不満があるワケ?」と言われれば何も言い返せない。地元の友人からは「東京で長く働いてわからないだろうけど、こっちに転職して50代半ばで事務職になれるなんて相当恵まれてるぞ」と思いきり釘を刺されている。頭で理解できても、肚の虫が治まっちゃいない。まぁでも、しばらくは辞めないつもりだ。

日曜日、久々に何もない休日となったので、バイクで海沿いを走った。南三陸のさんさん商店街に行って、海の幸をたらふく食ってきた。海岸線に出るまでの道すじに、ヨシの生える北上川沿川を選んだ。昔から大好きな石巻ならではの風景だ。市街地から少し足を延ばしただけで、この風景のなかに溶け込めるのは、石巻に暮らす今こその特権ではないだろうか。雇用主から得る賃金より何より、海の幸や川の景色が、石巻で働く最大の報酬なのだ、と考えたりする。安易に結論づけたくないが、とりあえず今は、そういうことにしようと、ぼんやり考えている。