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人口減少の今、廃村となった集落「寒川」について考える。

人口が減少している日本。
まあ各地で「限界集落」とかなんとか、話題にあがりますよね。
減っているのだから当然、無くなる集落は出てくる。
それは理論的に、わかる。

でも、「仕方ない」で終わらせていいのか?
理論が通っていればそうなってよいのか?そこに住まう人の気持ちは?
しかし一方で、情緒的な感情だけで集落を存続させる方向に動くことは、果たして正しいのか?

そんな問いが生まれまして。
じゃあ、実際に体験しようじゃないか、と。

私の住む宮崎県西都市に、廃村となった「寒川集落」という場所があります。実際にその集落に足を運び、考えてみました。


寒川集落って?

正式な読み方は「さむかわ」らしいけど、「さぶかわ」って呼ぶ人が多い。

1878年には42世帯215人、1965年には50世帯211人が居住していたが、最末期の1989年2月には6世帯13人にまで激減
集落としては1989年に廃村となった
平成22年国勢調査(2010年10月1日現在)やそれ以前の国勢調査において「大字寒川」に1世帯2人の居住がそれぞれ記録されていた

Wikipedia

もののけ姫テーマ曲を歌われている米良美一さんも、この寒川にルーツを持つらしい。

ちなみに、ドキュメンタリー映画もある。

そして、寒川集落でググってみると、心霊系のYouTube動画が出てくる。

YouTubeでの検索結果結果

私の寒川集落への想いがあるせいでしょうか。
正直「胸糞悪いなぁ」というのがファーストインプレッション。

「さすがに動画自体を見ないまま否定するのも違う」とも思ったので動画を見ましたが…ダメでしたね。笑

(以下、ボヤキなので、嫌な人は飛ばしてください笑)


「集落を去った人の怨念が…」とか。
2022年までらしいですが、集団移転された元住民の方は生きていたそうですし。。。人を勝手に霊にするなよ。そこをルーツにする人たちもいるでしょうが。

そして住居に土足でズカズカ上がり込むなよ。
窓ガラスは割れているが、家の中には本が残っていたり、写真が飾ってあったり、生活感が残る住居もある。
今は住んでいないかもしれないけれど、どんな想いでその人はその状態で去ったのか。
いや、これは想像でしかないので一概には言えないけれどさ。

大きなお世話かもしれないけれど、そこに住んでいた人たちや文化への敬意のカケラもないまま、心霊エンタメにして消費している。

まじふざけろ。他人様んちを勝手に心霊スポット化すな。どんな神経してんねん。


…と、取り乱してしまいましたが、気を取り直して。
改めて冷静に考えたときに、このボヤキを経て、「なぜ自分はこうも寒川に対して感情的になってしまったのか?」「興味を持ってしまっているのか?」私自身の中に疑問が芽生えました。ので、次の章ではそれをまとめます。

(「おめぇなんかに興味ねぇわ」って方は、次の章は飛ばして「なぜ今回、実際に寒川へ足を運んだのか?」へどうぞ。)

なぜ寒川集落に行ったの?

山間には澄んだ小川が流れる

そもそも、なぜ寒川に興味を持ったのか?

最初に私が寒川に興味を持ったのは、西都市のまちづくり会社に入社して、「まずはその土地を知らねば」と、西都の歴史を学んでいた時でした。

「集団離村で廃村になった村がある」
ということを知り、情緒的感情をいただいたのが最初のキッカケ。

「廃村になった」ということに、何故こんなにも興味をひかれたのか。
これは、私の小学生時代を過ごした地域での原体験があるのだと思います。

私が通っていた小学校は、長崎市の雲仙市(当時は南高来郡瑞穂町、だったはず)にある山奥の小学校。その頃の全校生徒は60人前後で、私の同級生は全校でも多い方で、15~6人だったっけな。
Webサイトで確認したら、今年度の卒業生は3名らしい。ちなみに ↓ この小学校。

この学校よりさらに山奥から、毎日山道を通って通学していたし、登下校では山に入って秘密基地作ったり、道なき道を突き進んでいったり、というのが思い出。

1年前、久しぶりに通学路を見てみると…

嘘みたいだけど、昔は人1.5人くらい通れる道があった。

このありさま。
「今、この通学路使われていないのか」
「自分が住んでいた土地がなくなるのは悲しいな。」と。

ちなみにこの「岩戸」という地域は、農家さんや畜産家さんがいらっしゃるので、文化がなくなるとまではいかないと思いますが、人口が少なくなっていると考えるとわからないよな。

そうやって、人口減少による自分が住んでいた地域の変化を、身をもって感じたことが、今回「寒川集落」に共感をした理由かもしれません。

なぜ今回、実際に寒川へ足を運んだのか?

山道を進むと、突然石垣が現れる

なぜ、実際に寒川に足を運んでみたか。
端的に言うと、今の世の中が向かう方向に「モヤァ…」としたものがあり、実際に足を運ぶことで見えることがあるのでは?
と考えたからです。

何が「モヤァ…」っとしているかと言いますと…

コンパクトシティ化は正しい、けどさ!

実は私の住む西都市。
令和8年に西都市内の中学校5つが、中心市街地にある1つの中学校に統合されるんですよね。

「子どもたちの社会性や協調性を養うために」
その理論、めっちゃわかる!
「子どもがいる家庭は中心市街地に集まり街中はにぎわう!」
「中心地に人口が集まることで災害対策面でもいいことだらけよね!」
うん、そうなのよね!わかるわかる!
個人的にも、この考え方には賛成なんです!

だけど、全体の人口が減少する中でそれをすると、きっとなくなる集落も出てくるだろう。
人口減少の中では仕方のないことだけれども、やっぱりその土地で生きてきて、文化を創り、紡いできた人がいるわけで。
集落を残す、という選択肢以外でも、尊重する方法ってないのかな。

そんな「問い」が自分の中に生まれたんですよね。

「んじゃ、実際に廃村になってしまった集落を実際見てみないとな!」

と、なったわけです。
実際に足を運ぶことで見えることがあるのでは?と。

で、実際寒川に行ってみて、どうやったん!?

まずは神社にお参り「おじゃまします」

正直、「悲惨な状況」とはこのことでした。
「集団離村・廃村の結果って、これでええんか?」という感じ。

石垣を上る階段から杉が
寒川小中学校の校舎。完全崩壊寸前。
集落の合間に伸びる道
完全に倒壊してしまった民家

うぅ~む…
家はそのまま。そのまま自然に還るのを待っている感じ。(そもそも「これって自然に還るの!?」と思う)

民家は窓ガラスが割られており、外からも様子が見える状態。
中を見ると、家具が残っていたり、家族写真が残っていたり、本棚には本が残っていたり。
どんな思いで、この荷物を残して離村したのだろう、と感傷的にはなるものの、「いやいや、でも自然のことを考えるとこうなってはいけないよな」と思い直したり。

この状態なら、YouTuberに心霊エンタメとして消費されるのも仕方ない気もする(ダメだけど)。
…し、そういうコンテンツ見てくる連中が多いからか、めちゃくちゃゴミ多い。
(モンスター(エナジードリンク)の空き缶とかあったから、最近の物であろう。)

窓は無くなり、家財道具は置き去りのまま

さらに視野を広げると、この山から流れ出た水は三財川を通り、田畑に水を供給しながら一ツ瀬川へ合流し、そのまま新富町から日向灘へと注がれる。

「文化」にも、「山」「森」にも、「川」にも、「郷」にも、「海」にもヨクナイネ。三方良しの逆よりひどい「五方悪し」。

「本当に、これでええんか!?」

私には、何ができるんだろう?

寒川小中学校跡地の記念碑

これから人口減少でコンパクトシティ化が進められることは確実だろう。
産業などで力をつけて残っていく集落もあれば、力尽きて無くなってしまう集落もあるかもしれない。
生き残るには「力」が必要なので、“情緒的”な想いではどうにもならない。
集落、さらに言うとそこに住まう人々は、力をつけなければ、その地域を存続できない。

私のマーケティングの経験でどうにかできるなら、地域に力をつけるために動いて、物理的に集落を残したい。

そして、仮に、物理的に無くなる集落があったとしても、今の寒川のような形ではなく、

  • その集落に由縁のあった方にとっても

  • かつてその集落が存在した場所を活用したいと思う人にとっても

  • その集落が影響を及ぼしうる地域(例えば下流の郷とか海とか)の人たちにとっても

「良い」と思ってもらえる形で集落の“場所”や“存在”、そして、そこにあった“文化”を無形でもいいから残したい。

いずれにせよ、私は先人たちが作り上げてきた“文化”を尊重し、どんな形であれ「良い形」で残していきたいのです。

体験は地域も自分も見つめ直せる

集落の一角に綺麗な「ミツマタ」の花が咲いていました。キレイ。

最終的に、「私が何をしたいのか」という話になってしまいましたね。スイマセン。

今回、実際に体験して、私の中で問題に感じていたことへの解像度が上がったし、解像度が上がったことで自分自身がやりたいことが明確になりました。

結論。体験、大事!!笑
これからも、感じて、ひたすら動いていこう!考えながら!

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