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【第12回】人権論に与える影響 ワイマール憲法の登場とその教訓 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

ワイマール憲法

社会国家観に基づいて作られた憲法の先陣を切ったのは、1919年のドイツ・ライヒ憲法、いわゆるワイマール憲法です。近代の人権宣言では、最も強調されていた所有権や経済的自由については、一定の限界があるのだとして、生存権的な規定や労働基本権のような社会権を規定したところに特徴があります。

151条1項 経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値いする生活を保障することを目的とする正義の原則に適合しなければならない。
153条3項 所有権は、義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきである。
159条 労働条件および経済条件を維持し、かつ、改善するための団結の自由は、すべての人およびすべての職業に対して、保障される。この自由を制限し、又は妨害しようとするすべての合意及び措置は、違法である。

ワイマール憲法

レッセ・フェール(自由放任)が正しいと思われていた時代であれば、使用者と労働者の間の契約も、私的自治の原則に基づいて、自由にその内容を決めるべきだ、ということになるでしょう。
契約にあたって「最低賃金はいくら以上にしなければならない」とか、「労働時間の上限は何時間である」ということは当事者が自由に交渉で決めるべきということになります。そうだとすると、当事者間の交渉に国は干渉すべきではない、このような規制をしたならば経済的自由に対する不当な制限だ、考えられたはずです。

しかし、資本主義経済の発展とともに、使用者と労働者の実質的な対等性は失われました。そこで、むしろ国がこのような関係にも介入すべき―介入することによって実質的な対等性を確保する(実質的な平等を実現する)―という考え方になったのです。自由といっても、人間らしく生きたうえの話であり、明日の暮らしすら確保できないようでは、伝統的な自由権はその人にとっては意味がありません。自由の前提として、生存がなければならない、そのために国は、人間らしい生活を保障しなければならないと考えられるようになったのです。

曲者(くせもの)?

20世紀に入って、社会権が登場した、ということは、皆さんご存じのことだと思いますが、この社会権というのは法的にはなかなかの曲者です。というのも、自由権は、「国家からの自由」、つまり、刑罰が典型ですが、国が何らかの干渉をしてきた場合に、「それは憲法違反だ!」といって撃退することができます(防御権)。
憲法に違反するので、その行為は無効である、たとえば、その刑罰法規は憲法違反で無効なので、自分に適用できないはずだ、と主張して国の行為を撃退して事件は一件落着、というシナリオを描くことができます。法的な表現をすると、自由権は、国家に対して不作為を請求する権利、ということができます。

これに対して、社会権は、国家が何らかの施策を講じて実現するものです。「国家からの自由」に対して、「国家による自由」とも表現されます。国に対して何らかの作為を請求する権利で、その典型例が生存権です。
生存権と一口に言っても、生活保護法など、国が給付対象をどの範囲の人にするのか、支給額をいくらにするかなどのルールを決めないことには、裁判で請求するにも、どのような内容で国を訴えるべきか、そもそもその人に訴える資格があるのかについて、具体的な内容がはっきりしません。

それだけではなく、仮に「給付水準が低すぎるではないか」と訴えて、裁判所が「確かに低すぎる」と考えたとします。そこで、生活保護法の基準が低すぎるので憲法違反であり無効である、なんて判断したところで、原告の救済にはまったく意味を持ちません。
だって、低すぎる給付そのものも無効とされてしまうと、なけなしの給付の法的根拠も失われてしまい、今までもらっていた給付も、もらえなくなってしまいます。曲者、といったのはこういうことです。では、社会権については、裁判になった時に具体的にどのような救済方法があるのかなどについて、さまざまな議論があります。
 

20世紀的「公共の福祉」

ここで、「公共の福祉」という観点に戻りたいと思います。
社会権の保障は、必然的に自由権、特に財産権や経済活動の自由に対する制約を伴うことはご理解いただけたかと思います。そして、その程度については、自由権どうしがぶつかり合った場合と比べると、一義的に確定することが難しいところがあります。
最低賃金をいくらにするか、法定労働時間を何時間にするか、そして何より、生活保護基準をどの程度にするか、ということは、国の政策的判断によって決まります。
この場合も、経済的自由の側からすれば、社会権という他の人権との調整の結果として制約を受けているのだと説明することもできますが、「権利に内在している制約なのだ」、という説明には違和感があります。憲法上の権利であるのに、憲法の下にある法律によって限界が左右されるというのは不自然だからです。
そこで、経済的自由については、内在的な制約を超えて、「政策的制約」を受ける場合があるのだ、と説明する学説があります。だからこそ、憲法の第22条第1項、第29条第2項で「公共の福祉」が改めて条文に規定されたのだというわけです。

ワイマール憲法の教訓

ところで、ワイマール憲法がその後、ナチスによって骨抜きにされてしまったことも有名です。ナチスは、ワイマール憲法の権力分立主義を、支配者に対する猜疑、不信感に基づくものだとして排撃しました。そして、指導者による「信頼の政治」「権威の政治」を強調し、ヒットラーの指導を信頼して全権を集中させました。

ワイマール憲法の歴史を見ると、憲法第12条が、「この憲法が国民の保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と規定しているのは、過去の教訓を生かすべしと、現代を生きる私たちに語り掛けているような気がします。



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