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人類学メンタリング #4


はじめに

 こんにちは、紺野です。今回で折返しの第4回。紹介された技術人類学の論文と書籍から、ストーリーとはなにか?を読み取るために悪戦苦闘した結果を共有します。論文を読むってこういうことかーーーという気持ちになりました。どうしても量に触れたくなりますが、今回は2週間で2点の文献に絞って何度も読みました。結果、理解の質は量を読むよりも良かったです。備忘目的なので、ちょっと野暮ったい文章ですが、読んでもらえれば幸いです。

やったこと

類似のテーマを扱ってるとして紹介された三津島さんの論文「機械を直す技術と身体」と森田さんの書籍「野生のエンジニアリング」のⅠ部を読んで、この問題が扱われる背景となるストーリーを整理しました。

三津島さんのストーリーの理解
 機械の導入により、技術の疎外が発生するが、機械を動かすための技術的な身ぶりについて新たに慣れる必要がある。道具に制約がある場合、その技術的な身ぶり(ここでは機械の修理技術)の発展と伝達は制約がない場合と比較して工夫されたものになるのではないか、という問題仮説の検証と理解した。

 労働者の技能は単純作業に分割可能(「労働と独占資本」ブレーヴァマン(1978))で、 機械の進展に伴う「技術の疎外」が起こってしまう(ルロワ=グーラン(2012))。
 他方、機械は人間のの技能を代替してきたが、機械利用のための技術も生み出してきているし(大西(2014))、機械のバグは0にはならず、新たな技術は新たな技術が生まれ続ける事も知られている(Sigaut(1994))また、機械の修理メンテナンスは不確定性が高い業務でマニュアル化できない Orr(1996))。
 加えて、少量多品種生産では工作機械の入れ替えコストが取れないが、治具を用いることで解消している事例あり。ただし、専用治具の運用は特化した技術が必要であることもわかっている(加藤(2016, 2021))
 ここから、「技術の疎外」ではなく、機械を動かすために労働者は技術的なみぶりに慣れることが必要(ルロワ=グーラン(2012))だと考える。

定義(大西(2014))
 技能:物理的な身体活動を支える能力
 知識:技能の一部でも言語化したもの
 技術:一連の要素が配置された総体 

タイにおいて輸入した農機具自体を改善する試行錯誤の記録した研究はある(森田(2012))が、技術的なみぶりについて記録した研究は見つけることができていない。

機械を直す技術と身体(三津島 物質文化 巻102 ページ13-34 2020)を要約

森田さんのストーリーの理解
 技術への関心は、「生業と環境の関係」「クラフト」「工場と社会変化」の大きく3つに分類、「工場と社会変化」に着目している。課題意識は、技術プロセスと工場の民族誌が切り離されてしまったことにある。そこで、伝統的技術(クラフト)以降、分断されてしまった近代的技術(工場のプロセス)、および、工場内部や周辺住民の変容の両面を合わせて記録・分析・考察することで、「機械」という人類学とかけ離れているテーマを通じて、人類学の意義を問うことが目的であると理解した。

 技術への関心の中での「工場と環境変化」において、ヤンキーシティで発生した工場ストライキは、クラフトと工場のズレの表層化した結果(ウォーナー(1947))。その後、ウォーナーと比較してナッシュ(1958)、マーカス&フィッシャー(1989)、Ong(1995)らの研究が続くも、工場の技術的側面には限られた注意しか払った来なかったために、技術プロセスと工場の民族誌が切り離された(森田(2003))
 途中、学習を頭の中ではなく、コミュニティの中で生じる現象として捉え直した「コミュニティオブプラクティス」(レイブ&ウェンガー(1995))が出てくるも、その主張にも批判あり。
 具体的には、徒弟制と工場や組織における現場学習の比較(福島(1995))では、 「工程」の可塑性と技術の特徴との関連(中岡(1971))の主張( 工程は機械や労働者の技能によって様々な形に分割・編成可能。それを用いることで現場の技能を評価できるという仮説)を参照して、記載された徒弟制の実態との齟齬を批判。機械化や分業の結果として労働者の疎外が生じる(プレイヴァマン(1978))を参照しつつ、 機械化が単に技能の低下や疎外をもたらすわけではない(福島(2001))と主張。
コミュニティでも理想的な学習へのジレンマが存在することを示した。

野生のエンジニアリング(森田 世界思想社 2012)を要約

また、”「機械」という人類学とかけ離れているテーマを通じて、人類学の意義を問うという目的”から、人類学における技術(機械)の位置づけを、プルーラリズム(インゴールド(2000))と 技術は自然と文化の中間(生態人類学)(ギアツ(2001))の考えを用いて整理してくれたことも、初学者にとっては非常に理解が進んだので素晴らしかった。まだ読めてはいないが、この後に、モースとストラタザーンを引用して丁寧に論理を展開してくれているようなので、続きを読むのが楽しみ。ここまでが問題仮説の意味合いや意義を整理したⅠ部。 続いて、タイでの工場の実践的な事象に視点をあてた観察・分析・考察結果を記載したⅡ部、 最後に、機械そのものに視点をあてた観察・分析・考察結果を記載したⅢ部と続いて本書は完了する。

おこったこと

 歴史に触れられたことで技術人類学と人類学の一部に対する理解が進みました。また自身のテーマである「バイクのレストア」のブレストを行う際にも用いる言葉が具体細分化されました。
 他に起こったことの一覧は下記です。


  • Muralを使って論文で引用されている論文の関係を整理したことで、論文の仮説を自分の理解で説明できた。加えて、メンターの水上さんとも理解に大きな相違はなかった

  • 三津島さんの論文中では、技術の伝達がシニアからジュニア、の様に一方的だったので、双方向で創発的な技術の発見のようなこともあるのでは??という問いを、通称:ボビンの論文 三宅なほみ(1986) を引用して説明。興味を持ってもらったこと。

    • 決まった技術しか使うことがないし、シニアのプライドが高いので、創発的な学びは起こりにくい環境なのではないか、という背景まで含めた話ができた。

  • 論文中で、エンジンのオーバーホールのような複雑な修理をいかにはやく完了させるかが、工場の質の評価基準のひとつ、とのことで、技術以外にもマネジメント要素があるのではないか、というフィードバックも実施できた。

  • 自身のテーマである「バイクのレストア」について、ストーリーのブレストを実施。整理の際に使う言葉が複数出てきて、各々が指す意味が異なってきた(思考内容が具体細分化されてきている)

わかったこと


  • 水上さんが伝えたかったストーリーとは、著者の主張を構造化して、事例や知識を引用して検証&整理されたものであることを理解できた

  • 三津島さんの論文と森田さんの書籍を読んでみて、人類学上、「技術」がどのように扱われてきたのか、を多少理解することができたおかげで、自身のテーマでもある「バイクのレストア」についても、修理すること以外にも他の意味合いがあるのでないか、という問いが生まれてきた(例:過去の思い出を現物とともに手元に残そうとするという意図があるのでは、や、レストアという行為自体が好きで対象は問わないのでは、等)

  • 技術の疎外については、ルロワ=グーランとブレーヴァマンの主張が元になって論理が展開されており、キーマンだと理解できた

  • コミュニティオブプラクティスは興味を持っていたが、批判があったことは知らなかったので。理解を深めるきっかけを掴むことができた。

  • 人文学、特に人類学は引用が多いということがわかった。イントロで2行に1本くらい引用が出てくる。特に初めてのテーマに取り組むときには時間をかけてもこれらを読み解いて、構造的に整理することが主張を正しく理解することに繋がる

  • 用いられる言葉が独特だったり、日常の用途とは異なる使い方をされていることがあり、混乱することがある(複数回読まないと頭に入ってこない)

次にやること


  • 悉皆調査(全数調査):一旦は70を目指して実施するも、、、

    • 文献に相当する、YOUTUBE動画からレストアする人は、バイクのレストアをどんな目的で実施しているのか、と、バイクをレストアするための技術としてどんな工夫や自己流の修正を加えて実施しているのか、を調べる

    • 動画から、レストアを実施している人の目的を推察する

  • 定義の調査:

    • バイクのレストアで用いられる、修理に関する用語を、エンジニアリングの学術的な用語から整理する。

  • 学術的な定義・手法と悉皆調査の比較:

    • 学術的な定義や工程と現場の差分の発見、その違いが生まれた原因を分析する

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