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全世界ののろいの代名詞:聖書をめぐる旅 5/26

5/26(木)
 今朝の札幌は気持ちのよい朝です。エルサレムに対して語るエレミヤの言葉は、いや神様の言葉は次の段階に入っていますが、特徴は必ず逃れの道を用意してくださっていることです。警告に効き従えば災いをやめる、またたとえ異国につれられていっても、そこで学び必ず故郷に帰ることができる。この判断は、民にゆだねられています。  

エレミヤ書26章 

4彼らに、わたしがこう言っていると告げよ。もし、わたしのことばを聞かず、わたしが与えたおきてに従わず、 5また、わたしのしもべの預言者の言うことを聞かないなら――もっとも、何度も預言者を遣わして警告させたのに、おまえたちは聞こうとしなかったが―― 6この神殿をシロの神殿のように壊し、エルサレムを全世界ののろいの代名詞とする。」
12エレミヤは次のように自分を弁護しました。「主が、この神殿とこの町に不利な預言をせよと、私にお命じになったのです。私の話したことはみな、神のおことばです。 13もし、あなたがたが罪を犯すのをやめて主に従うなら、神はすでに宣告されたいっさいの刑罰を思いとどまるでしょう。
15ただし、ひと言だけ言っておきます。私を殺したら、罪のない者のいのちを奪ったことになります。その責任はあなたがたと、この町の全住民がとらなければなりません。主は確かに、あなたがたの聞いたことを残らず話すようにと、私にお命じになったからです。」


 自分たちの住む街を全世界ののろいの代名詞にすると言われていい気分の人はいません。このことを預言したエレミヤは、ユダの人々に殺されかけます。彼は、「だって、神様が言えといったから・・・」と弁解しますが、もう好きなようにしてくださいと心はきまっています。
一つ、罪のない者の命を奪った責任は、この町の全住人がとらなければならないということは、イエスキリストの十字架の死と全世界の人々の罪の関係に似ていると思いました。

エレミヤ書27章

2「くびきを作り、それを農耕用の牛につけるように、おまえの首に革ひもで結びつけなさい。 3それから、エドムの王、モアブの王、アモンの王、ツロの王、シドンの王に、エルサレム在住の大使を通じてメッセージを送れ。 4それぞれの王に、イスラエルの神である天の軍勢の主からのことばだと言わせなさい。 5『わたしは大きな力をもって、地と、全人類と、あらゆる動物を造った。これらを、わたしの目にかなった者に与える。
8今は彼に従い、彼に仕えよ。おまえたちの首をバビロンのくびきに入れるのだ。わたしは、彼の奴隷になろうとしない国の民を罰する。戦争とききんと疫病を送るので、その国は彼に征服される。
22みなバビロンに運び去られ、わたしが取り返すまでそこにある。後に、わたしはそれらの物をみな、エルサレムへ持ち帰る。』」

 くびきは、漢字で首木とも書き、畑を耕す時に2頭の牛の首をつなぐ横木のことです。バビロンのくびきに入れられるというのは、他の国の王様にとっては屈辱的な話です。くびきにつながれ、自分のペースではなく、相手のペースにあわせるということは、神様が用意した訓練なのかもしれません。
 マタイの福音書11:29でイエス様は「わたしはやさしく、謙遜な者ですから、負いやすいわたしのくびきを、わたしといっしょに負って、わたしの教えを受けなさい。そうすれば、あなたがたのたましいは安らかになります。」と語っています。
 20代のアルバイト生活の時期に、農家の親方にジンギスカンをごちそうになったことがあります。その時、親方が「他人の家の飯をたべさせてもらう」経験の大切さを語っていたことを思い出しました。その当時にしては、本当にありがたいことではありますが、早く自分で稼いだお金で食べれるようになりたいと思いました。今日、イエス様が語っているのは、この世のくびきではなく、イエス様のくびきに入りなさいということです。

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