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「手を献げ物とする牛の頭に置く」レビ記 1章 2章~ちょびっと聖書  a little Bible

11/12(土)

<祈り>
 レビ記に入りました。全焼のささげものに、手を置くこと、献げ物に塩をかけること、初穂の献げ物を火で炒ること、どれも新約のイエスキリストの言動を象徴するようなものでした。自分の罪の重さを改めて認識し、そのためにイエスキリストの尊い命が捧げられていることを心に留めます。
古い自分に死んだゆえに、新しく生まれた者として、血の塩として働けることを感謝します。
 今日、ちょびっと聖書を読んでくださった方に神様のご計画が示されますように。イエス様のお名前でお祈りします。

<気づき>
レビ記1章 
・4手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。
 全焼のささげものの上に、手を置くことの意味を調べてみました。これは、自分の罪を告白して、その罪が牛の上に置かれたことを表すモノで、牛の行く先は本当は自分の行く先ということです。本来は自分が牛のようにならなければならなかった。しかし、手を置くことで罪が牛に転嫁され、そして牛が自分の代わりになったということです。そして、奉納者がその牛を屠るとありますから、自分の罪がこの牛を殺したことの重大さを表します。
 これは、私たちの罪の身代わりになったイエスキリストの十字架を象徴しているものだと思います。

レビ記2章
・12それらのものは、初物の献げ物として主にささげてもよいが、宥めの香りとして祭壇にささげてはならない。 13穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ。
 献げ物に塩をかけています。神様に受け入れられるために塩が用いられています。あなたがたは地の塩であるということばを思い出します。

・14初穂の献げ物を主にささげる場合は、麦の初穂を火で炒ってひき割りにしたものを初穂の献げ物としてささげよ。
 火で焼かれた者が献げ物として用いられています。火を持って死んだものが用いられることを表しているということでした。自分の命のままでは用いられないことを表しています。一粒の麦が地に落ちて死んだ後に、豊かな実を結ぶことに通じます。


~ちょびっと聖書  a little Bible
※「ちょびっと聖書」は、毎日2章読みながら気づきと疑問を書き進めております。
※本日は、目を止めていただきありがとうございます。聖書の言葉は人生に大きな変革を起こす種です。また、お会いできると幸いです。
※神様、イエスキリスト、そして自分のことを見つめなおす「4つの法則」をご案内します。 https://www.japanccc.org/4sl/





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