泣きながら砂漠を横切るだちょうのように:聖書をめぐる旅 7/27

7/27(水)
 預言者ミカはイザヤと同時代の預言者で、BC750年~687年ころに、北イスラエルと南ユダに遣わされています。この言葉をどう受け止めたかによって、国の存亡が異なっています。

ミカ書1章 

3見よ、主が来ようとしている。
天の王座を離れ、山々の頂の上を歩きながら、
地上に来る。
4山々は、火の中の蝋のように主の足の下で溶け、
丘を流れ落ちる水のように谷へ流れ込む。
5どうしてこんなことが起こっているのか。
イスラエルとユダの罪のせいだ。
どんな罪か。
首都サマリヤとエルサレムを中心に行われている
偶像崇拝と虐待である。
8わたしは声をあげて嘆こう。山犬のようにほえ、
夜、泣きながら砂漠を横切る
だちょうのように悲しげに。
はだし、裸で歩こう。
9わたしの民の傷が治せないほど深いからだ。
主はエルサレムを罰しようと、
すでにその門に立っている。

ミカ書2章

1夜中に寝床で悪事を企む者は災いだ。
あなたがたは計略を実行するために夜明けに起き出し、
実行する力があるのでやってのける。
2その人の財産すべてなのに、
人の土地や家を欲しがり、
詐欺と脅しと暴力でそれを取り上げる。
5その時には、
他人があなたがたの領土の境界線を決める。
「主の民」は連れ去られた所に住むようになる。
12イスラエルよ。
わたしが残りの者を集め、
囲いの中の羊のように、牧場の群れのように、
もう一度集める時がくる。
それは騒々しく、幸せな集団だ。
13メシヤがあなたがたを連れ去られた地から導き出し、
捕らわれていた町の門を通って、
自分たちの地に連れ戻す。
イスラエルの王はあなたがたの前を進み、
主が先頭に立って進んで行く。

 ミカはイザヤと同じ時代、紀元前8世紀にイスラエルとユダに神様の言葉を伝えました。歴史は彼の言葉をないがしろにした北イスラエルと、受け止めた南ユダとを明確に区別しています。アッシリアにより北イスラエルのサマリアは陥落し、ヒゼキヤ王が悔い改めた南ユダのエルサレムは敵に取り囲まれる絶体絶命のピンチの中で、御使いによって18万5千人のアッシリア兵が打ち破られます。
 ミカを通して語られた言葉は、神様の裁きが近いこと、
そして、裁かれる神様自身が声をあげて嘆いておられることです。
「泣きながら砂漠を横切るだちょうのように」という表現が印象的です。
誰よりも早く走り、足の力も強いだちょうですが、孤独であり、無力であることを自覚している印象が伝わります。
だちょうの鳴き声を調べてみると、喉の奥に何かがつまったようなこもった鳴き声で、身体の大きさとはまったく印象が異なりました。
普段感情を表さないだちょうが、涙を流している状態。
神様は、命のない砂漠を歩くだちょうにご自身の気持ちを重ねていたのかもしれません。
 しかし、ミカ書2章で、神様はメシアを遣わして、国々に散らされた人々を集められる日がくることを宣言されています。これは、メシア自身が私たちの牧者となられること、そして主が先頭に立って進んでいく様子は、出エジプトの火の柱・雲の柱を彷彿させます。

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