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どうしたらいいか、どこへ行ったらいいか:聖書をめぐる旅

6/3(金)
 神様の預言者の前に現れたヨハナン、イザヌヤは、エレミヤのところにやってきて神様の指示を仰ぎます。
「どうしたらいいか、どこへ行ったらいいか?そして、
どんな言葉にも従います・・・」と。
しかし、実際に神様の言葉を聞いた彼らの反応はどうだったでしょうか?  


エレミヤ書42章

1ヨハナン、ホシャヤの子イザヌヤ、将校たちをはじめ、身分の高い者も低い者も、そろってエレミヤのところへ行き、 2こう頼みました。「どうか、あなたの神である主に祈ってください。よくご存じのように、私たちはあとに残った、ほんのひと握りの仲間です。 3あなたの神である主が私たちに、どうしたらいいか、またどこへ行ったらいいかを教えてくださるよう、頼んでください。」 4「いいでしょう。神に尋ねてみましょう。神の語ることは、包み隠さずお知らせします。」 5「もし、私たちが神の語ったことに背くなら、のろわれてもかまいません。 6私たちは、おことばが気に入っても気に入らなくても神に従います。従いさえすれば、何もかもうまくいくからです。」
9こう言いました。「あなたがたは私を代わりに立て、イスラエルの神に尋ねさせました。これが神からの返事です。 10『この地にとどまりなさい。そうすれば、おまえたちを祝福する。誰ひとり危害を加える者はいない。わたしは、おまえたちに刑罰を下したことを後悔している。 11これ以上バビロン王を怖がらなくてよい。わたしがついているからだ。必ず彼の手からおまえたちを助け出す。
21私は今日、神のご命令を、そのとおり伝えました。ところがあなたがたは、いつものように、やはり従おうとしません。 22だから、このことを心に刻みなさい。あなたがたは、どうしても行くのだと言ってきかないエジプトの地で、剣とききんと疫病によって死にます。」

 支配者であるバビロンが立てた総督を殺した人々は、自分たちがどうしたらよいのか途方に暮れて、エレミヤの元にやってきました。
自分たちがどうしたらよいのか、どこへ行ったらいいのか、
神様に聞いてください。
私たちはどのような言葉にも従います。
 10日ほど、エレミヤが祈って神様が語られた言葉は、「バビロンにとどまりなさい」でした。バビロンにとどまれば、神様が祝福すると、しかしエジプトに逃げると禍いがまっている。
 エレミヤの言葉から、この民は神の命令を聞きながらも従わないそぶりをみせていたことがわかります。この民の姿を見ると、神様の言葉がまちがっているのではなく、民の心が曲がっているのでことごとく的外れな選択をしていることがわかります。この民の目には、支配された地エルサレムに残るよりも、エジプトに逃げる方が魅力的に映ったのでしょうか?偶像を拝むものは、自分の欲を拝んでいるという話を聞いたことがあります。自分の欲望ではない、真の道を語る神様の言葉には従えないのです。
「私には、わかりません。しかし主よお言葉ですから」・・・と船の右側に網をうった漁師の信仰に倣いたいと思います。

エレミヤ書43章

1エレミヤが、神のことばをすべての人に語り終えた時、 2-3ホシャヤの子アザルヤと、カレアハの子ヨハナン、その他の思い上がった者が、エレミヤに言いました。「うそをつけ。神が、エジプトへ行ってはならないなどと言うはずがない。ネリヤの子バルクが陰謀を企て、そう言わせたに違いない。われわれをこの地に残して、バビロニヤ人に殺されるようにしたり、奴隷としてバビロンに連れて行かれるようにしたりするために。」
イスラエルの神である天の軍勢の主は言う。わたしは間違いなく、わたしの意のままに動くバビロンの王ネブカデネザルを、エジプトに連れて来る。そして彼の王座を、今隠した石の上にすえる。彼は、その石の上に王の天蓋を張る。 11彼はエジプトに来て町を破壊し、わたしが殺そうと思っている者をみな殺し、わたしが捕虜にしようと思っている者を捕虜にする。また、多くの者が疫病にかかって死ぬ。

 神の言葉を尋ねながら、自分の意にそぐわない言葉が応えと知ると、彼らは従うことができませんでした。
 エデンの園には、命の木と善悪を知る知識の木がありましたが、彼らがここでも選んだのは命ではなく、善悪を自分で判断する道でした。自分の経験よりも神様の言葉を上に置くことは、人間にとって非常に難しいことなのかもしれません。しかし、人間視点と神様の視点は異なります。
 最近思わされているのは、人間の中では社会をよりよく変えることが大切ですが、神様の視点からは罪からの救いが何より大切です。罪から解放されることが、神様と歩む最善の道につながります。結果としてよりよい社会につながります。しかし、社会をよくしようとしても、人間の心が曲がっている限り、良いモノも良くとらえられません。神様が求めておられるのは社会変革ではなく、救いです。
 エルサレムに残ることではなくエジプトを選んだ民を待っていたのは、バビロンによる破壊でした。

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