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わたしを求めよ:聖書をめぐる旅 7/22

7/22(金)
 アモスを通して神様が語っておられるのは、「わたしを求めよ、そして生きよ」ということです。そのように私たちに語る方がどんな方で、私たちとどんな関係があるのか、考えてみました。 

アモス書5章

3まことに、主なる神はこう言われる。
「イスラエルの家では
千人の兵を出した町に、生き残るのは百人
百人の兵を出した町に、生き残るのは十人。」
4まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
わたしを求めよ、そして生きよ。
6主を求めよ、そして生きよ。
さもないと主は火のように
ヨセフの家に襲いかかり
火が燃え盛っても
ベテルのためにその火を消す者はない。
8すばるとオリオンを造り
闇を朝に変え
昼を暗い夜にし
海の水を呼び集めて地の面に注がれる方。
その御名は主。
18災いだ、主の日を待ち望む者は。
主の日はお前たちにとって何か。
それは闇であって、光ではない。
19人が獅子の前から逃れても熊に会い
家にたどりついても
壁に手で寄りかかると
その手を蛇にかまれるようなものだ。
20主の日は闇であって、光ではない。
暗闇であって、輝きではない。 


アモス書6章

6大杯でぶどう酒を飲み
最高の香油を身に注ぐ。
しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。
7それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き
寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。
12馬が岩の上を駆けるだろうか
牛が海を耕すだろうか。
お前たちは裁きを毒草に
恵みの業の実を苦よもぎに変えた。
13お前たちはロ・ダバル(空虚)を喜び
「我々は自分の力で
カルナイムを手に入れたではないか」と言う。
14しかし、イスラエルの家よ
わたしはお前たちに対して一つの国を興す。
彼らはレボ・ハマトからアラバの谷に至るまで
お前たちを圧迫すると
万軍の神なる主は言われる。

わたしを求めよ、そして生きよ
 この言葉から連想するのは、黙示録2章にあるエフェソの教会にあてた神様の言葉です。
「あなたは初めのころの愛から離れてしまった。 だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。」
本来神様に創造され、神様と共に過ごしたところに立ち返ることが求められています。
 そして、神様は人間を牢獄につなぐようなことをせず、自分の選択で神様の元にいることを望んでおられます。創世記2章、エデンの園に植えられた木々は、命の木と善悪の知識の木でした。神様は、ただ善悪の知識の木から食べてはいけないと伝えており、それは命を選びなさいという教えでした。
 神様は、今も生きておられます。周囲の国々を求めることよりも、自然界を作られた方、オリオン座を作られた方、海の水を地上に降らす循環システムを作られた方を求めなさいと語られています。聖書は、この天地万物を創造された方が、私たちの味方であると語っています。ここまで書くと、何故この最高の味方から離れてしまうのか不思議に思います。しかし、人間の中の罪は、ことごとく神様から目を離させる性質であることを認め、悔い改めたいと思います。

 
主の日を待ち望む者は災いだ
 この言葉は、キリスト者に対する警告だと思います。
主の日とは、神様が再臨される日を表しており、多くのキリスト者はその日を待ち望んでいます。神様と再会する人を楽しみにしています。
 しかし、その日が災いの日だということは、私たちは何か的外れな生き方をしているという警告のように思います。
初めの愛に立ち返ること。そして、神様が「今」何を求めておられるのか、霊の耳を開いて、神様の声に耳を澄ますことが必要だと思わされました。

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