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どうして、純金は光沢を失った?6/10

6/10(金)
 純金なる役割が失われ、本文ではひどい悲劇が起こっています。
その理由は、預言者や祭司の罪のためとあります。今日、祭司とは誰でしょうか?  

哀歌4章

1どうして、純金は光沢を失ったのでしょうか。
それを埋め込んだ神殿の壁がくずれ落ち、
道ばたに散らばったからです。
2純金とも言うべき、えりすぐりの若者が、
土の器のように扱われています。

10心の優しい女でさえ、生き延びるために、
自分の腹を痛めた子どもを食べました。

13神がそれを許したのは、
罪のない者の血を流して都を汚した
預言者や祭司たちの罪のためです。
14今や、彼らは血にまみれ、
触れるものは何でも汚しながら、
あてもなく町の中をさまよい歩いています。

22イスラエルは罪を犯して遠い国へ移されましたが、
刑期はやがて終わります。
しかしエドムの刑期は、いつまでも終わりません。

 預言者や祭司たちの罪のため
預言者と祭司の役割を調べてみると、預言者は神様から預かった言葉を人々に伝える役割、祭司はかつては神様に生贄をささげる役割でした。
今日、イエス様が十字架につけられ、神殿の垂れ幕が引き裂かれてからは、祭司は必要なくなりました。信者はイエスキリストをとおして、直接神様につながることが出来るようになりました。そして、私たち信じる者が、祭司の役割をするように召されていることがわかります(万人祭司)。そして、私たちには「生き方を通し、言葉を通して、神に喜ばれる霊のいけにえを捧げる」責務が与えられています。この時代の祭司を非難することよりも、私たち自身の襟を正すために、この記載があるのかなと思います。

<参考資料>万民祭司とはどういう意味ですか?

哀歌5章

5私たちは支配者の足もとにひれ伏し、
いつ終わるとも知れない労働にせき立てられます。
6パンを得るために、
エジプトやアッシリヤに頭を下げます。

15喜びを忘れ、
踊りは死の踊りとなりました。
16私たちの栄光は去り、
頭から冠が転げ落ちました。
私たちが罪を犯したために、
災いが降りかかったのです。

19主よ。あなたはいつまでも変わらないお方で、
御座は永久に続きます。
20それなのになぜ、私たちを忘れてしまったのですか。
なぜ、こんなに長い間、
見捨てておくのですか。
21私たちに御顔を向け、
もう一度、みもとに戻してください。
それだけが私たちの望みです。
以前の喜びを返してください。
22それとも、神は私たちを
すっかり見放してしまったのですか。
まだ私たちを怒っているのでしょうか。

「天は我らを見放した?」
このフレーズは、聴いたことがあります。
そうです映画「八甲田山」の番宣でつかわれていたセリフです。
実際のところ、八甲田山で遭難した軍隊のリーダーが発した言葉で、
この言葉がさらに、混乱している軍隊の士気を下げたといいます。
神様が私たちを見放したなら、私たちは生きている意味を失います。
神様こそ私たちの生きる力です。
私の目にあなたは、高価で貴い・・・そう見てくださる方が
私たちの創り主です。
独り子イエスキリストを十字架につけてまで、私たちを罪から救ってくださった方が私たちの創り主です。
神様は、決して諦めず、見放しもしません。
バビロンに滅ぼされたエルサレムでさえ、回復の時が計画されていることに
感謝します。
<参考資料>読売新聞オンライン 


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