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あなたの背信が、あなたを責めている:聖書をめぐる旅 5/14

5/14(土)
 耳障りな言葉、自分のやっていることを否定するような言葉はあまり聞きたくありません。しかし、預言者であるエレミヤが語るように命じられたことは、この耳障りな言葉の数々だったと思います。離れていく民に対して、神様は熱烈なラブコールを送っています。なぜなら、今の民の歩みの延長線上には、よくないことが待っているからです。  

エレミヤ書2章 

7わたしは、お前たちを実り豊かな地に導き
味の良い果物を食べさせた。
ところが、お前たちはわたしの土地に入ると
そこを汚し
わたしが与えた土地を忌まわしいものに変えた。
13まことに、わが民は二つの悪を行った。
生ける水の源であるわたしを捨てて
無用の水溜めを掘った。
水をためることのできない
こわれた水溜めを。
19あなたの犯した悪が、あなたを懲らしめ
あなたの背信が、あなたを責めている。
あなたが、わたしを畏れず
あなたの神である主を捨てたことが
いかに悪く、苦いことであるかを
味わい知るがよいと
万軍の主なる神は言われる。
27彼らは木に向かって、「わたしの父」と言い
石に向かって、「わたしを産んだ母」と言う。
わたしに顔を向けず、かえって背を向け
しかも、災難に遭えば
「立ち上がって
わたしたちをお救いください」と言う。
28お前が造った神々はどこにいるのか。
彼らが立ち上がればよいのだ
災難に遭ったお前を救いうるのならば。
ユダよ、お前の神々は
町の数ほどあるではないか。

 イスラエルの民を導き、乳と蜜の流れる地に導いたのは主なる神様であったのに、イスラエルの民は主を捨て、偶像礼拝に走りました。
そのことを姦淫と主なる神様は指摘されています。
何故、偶像礼拝に走ったのか?それは、人間の中にある神様よりも自分を上に置きたがる罪の性質かもしれません。また、土着の風習に合わせることを優先させてしまったからかもしれません。また、イスラエルの王家を断絶させようとするサタンの策略なのかもしれません。
 救い、導いた方を捨て、イスラエルの民は偶像礼拝に走りました。
主は、怒り、木を拝み、石に祈っているのなら、困った時にその木に助けてもらえばいい。石に守ってもらえばいい、と主なる神様はご立腹です。


エレミヤ書3章

15わたしはあなたたちに、心にかなう牧者たちを与える。彼らは賢く、巧みに導く。 16あなたたちがこの地で大いに増えるとき、その日には、と主は言われる。人々はもはや、主の契約の箱について語らず、心に浮かべることも、思い起こすこともない。求めることも、作ることももはやない。 17その時、エルサレムは主の王座と呼ばれ、諸国の民は皆、そこに向かい、主の御名のもとにエルサレムに集まる。彼らは再び、かたくなで悪い心に従って歩むことをしない。 18その日、ユダの家はイスラエルの家と合流し、わたしがあなたたちの先祖の所有とした国へ、北の国から共に帰って来る。

 たくさんの悔い改めについての言葉の中に、希望の言葉をみつけました。
ここでは、北イスラエルと南ユダが再び一つになることが語られていますが、さらに先の時代をも預言しているように思います。
これは、聖霊様が信じる者たちに下り、主と共に歩むという恵みの時代がやってくることです。
イエスキリストが道を造ってくださった故、
今が恵みの時、今日が救いの日です。
そして、大患難の前の今が立ち返る時です。


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