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【連載 第3回】どうしてわたしはユキヒョウを探しに来たのか?

国立公園のレンジャーが合流した! 一緒にユキヒョウを探すのだ! 爆上がりのテンションは、スッと落ち着きます。山と溪谷社いきもの部ブチョーwのアルタイ山脈・ユキヒョウ探索の旅。心の平穏を見つけました(笑)。

第3回 アルタイ山脈で考えた。

巨大なモレーンの上で、めずらしくひとりだった。そんな時間はアルタイ山脈に来てはじめてのことだ。

明け方から国立公園のレンジャーとともにユキヒョウの新しい痕跡を探した。場所は、わたしたちが最初に入った山域…レンジャーがトレイルカメラを仕掛けているエリアだ。つまり、われわれは戻ってきたのだ。しかし、どこにも新しい痕跡はなかった。

写真=明け方から平地でユキヒョウの足跡を探す。
ユキヒョウが広域に山を移動する場合、平地も横断するらしい。

わたしたちは、馬を使って山中を探索をしている地元ガイドと合流するために、見晴らしのよい場所で車を停めて彼らを待っていた。レンジャーはガイドのメンディとともに川沿いをチェックしに行った。地元ガイド2名とは無線をやりとりしていたので朗報がないのはわかっていた。トレイルカメラに写っていた親子のユキヒョウが3週間近くたって、この山に戻ってくる可能性にかけたのだが(いや、レンジャーのルーティン調査だったのか?)、結局、この山域にユキヒョウは戻っていなかった。

しかし、不思議と気持ちは平穏で、悔しさなどはなかった。

写真=レンジャーとともに丹念にユキヒョウを探した。
いちばん左がレンジャーのアルテンシャガイさん。

大自然ってなんだ?

最初、それがモレーンだとはわからなかった。川沿いの道を四駆で上がっていくと、丸い岩が点在する巨大な丘を越えるのだが、急に風景が変わるので不思議に思っていた。高さが40~50mはある丘だ。

(これはモレーンか!? でかいな!)

日本で見かけるものとは規模が違う。いま、そのモレーンの上でわたしはたたずんでいる。アルタイ山脈の大自然にいるんだな…と実感する。

写真=これがモンゴル・アルタイ山脈の大自然だ!

それにしても「大自然」とはベタな言葉だ。この言葉は「原生的」で「広い面積」の両方を兼ね備えた自然を指すものではないかと思うのだが、確かにアルタイ山脈はそれにふさわしい。広い面積の山々、なにしろユキヒョウがいる、オオカミもいる。これ以上原生的な自然はないはずだ。

だが、この山々を散々登って感じたのは、どこまでもどこまでも家畜がいる濃厚な遊牧民の存在感だ。アルタイ山脈で遊牧がはじまったのは紀元前3000年ごろだという(白石典之、沙漠研究33、2023)。つまり、5000年もの間、この山では牧畜がされているわけだ。いまやアルタイ山脈の隅々まで利用されているのではないか。

写真=さすがにヤクは高いところにいるなあ、と思ったのだが、
その上に馬の群れがいたりするのだ。

地元のガイドやレンジャーに聞いたところ、昨年の冬は約60頭の馬やヤクがユキヒョウに襲われたという。オオカミに至っては約200頭の家畜が襲われたとのことだった(いずれもこの数字にはヤギなどの小型の家畜は入っていない)。

京都大学の相馬拓也氏はアルタイ山脈でのユキヒョウと人の関わりを研究され(ムンフハイルハン国立公園でも研究されている)、何本も論文を発表されているのだが、そのなかから抜粋したメモがユキヒョウノートにあった。ユキヒョウは遊牧民にとって「畏怖と忌避」の対象だと。それでいて「神聖」でもあると相馬氏は指摘していた。

写真=いろいろメモってあるわたしのユキヒョウノート。

ユキヒョウは、いまではモンゴルでも厳しく保護されており、密猟には極めて高額な罰金が設定されている。そして、家畜がユキヒョウに殺されたことの補償はいっさいない。しかし、遊牧民たちの家にお邪魔してユキヒョウの情報を聞いていたのだが、ユキヒョウに対する強い怒りのような感情を感じることはなかった。もちろんユキヒョウを探しに来た外国人観光客に対して、そのような負の感情をぶちまけることは考えにくいのだが、みな淡々とユキヒョウについて話していて、自分の家畜が殺されることも、「まぁ、それも仕方がない」というトーンだった(あくまでも個人の印象です)。

(神聖な存在で、かつ畏怖と忌避か…)

確かに、少なくともオオカミに関してはユキヒョウとは違った感情をもっているようだ。ある日、オオカミの話になったときに「日本のオオカミは100年ぐらい前に絶滅したんだよ。日本人がすべて殺したんだ」といったら、ガイドたち全員が「それはすばらしい!」と大絶賛、満面の笑みだったのだ。

アルタイ山脈に生きる遊牧民たちが、ユキヒョウと美しく共生していることはほぼないように思う。そもそも、そんな話は世界中どこにもないのではないか? それでも遊牧民たちの日々の生活は続き、そこにユキヒョウがいてオオカミもいて、冬はいつもどこかで家畜を襲っているのだ。

わたしはどうしてここに来たのか?

モレーンの丘からプロミナで目の前の山を覗くとシベリアアイベックスがいた。険しい断崖に生きる野生のヤギの仲間で、ユキヒョウたちの主食となる動物だ。

写真=岩場でゆっくりと採食していたシベリアアイベックス。

しかし、そこにユキヒョウがいる確率は限りなくゼロに近い。地元ガイドがその山の稜線はチェック済みだ。

昨日の雪とは違って天気もよく気持ちがいい。気温も0度ぐらいに上がっている。アイベックスはゆっくりと移動している。遠くであっても、だからこそ自然な野生動物の姿をゆっくりと見る。あぁ、自分はこういう時間が好きだったはずだ。

思い起こせば1冊の本の出会いでここまで来た。20代のころに読んだ『雪豹』(ピーター・マシーセン/めるくまーる/1988年)だ。

写真=2006年にハヤカワ文庫NFになったが現在は絶版。

作家である著者が世界的に高名な哺乳類学者ジョージ・シャラーに同行して、バーラル(野生のヒツジ)の調査のためにヒマラヤを歩いて旅する話だ。1970年代の話で、当時のアメリカ人のチベット仏教への憧憬が背景にあり、歩く旅の中でつねにユキヒョウの存在を意識しつつ、自分の人生を振りかえるようなお話しである。

この本でユキヒョウ、そしてそれを追い求める旅にあこがれたはずなのに、今のわたしはどうだ?「野生のユキヒョウを見たい」という思いは、即物的な欲望となり、四駆と地元ガイドを駆使してただただユキヒョウを追いかけ回しているだけではないか? わたしと野生動物の関係はそんなものなのか?

ムンフハイルハン国立公園での最後の1日。自分らしくアルタイ山脈の自然と向き合えないか? ずっと気になっていたアルタイナキウサギをじっくり観察するのはどうだろうか? 宿泊地にもどったらメンディに話してみよう。巨大モレーンの上で、皆の帰りを待ちながらそんなことを考えていた。

しかし、そのときは3時間後に起こる急転直下の出来事を知るよしもない。

なんと…流浪の旅は続くのだ。

(つづく)

第1回はこちら→

第2回はこちら→

第4回(最終回)はこちら→


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