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【連載 最終回】 Ghost of Mountains, forever. 

もうユキヒョウはあきらめた。それでいいじゃないか。わたしのアルタイ山脈の旅は、そういうことだったのだ。しかし、運命はそれを許さない。いや、それは内なるわたしの欲望か!? アルタイ山脈、ユキヒョウ探索の旅、最終回です。

最終回 欲望の果てに見たものは?

レンジャーと1日行動を共にした日、意外とすっきりした気持ちで泊まっていた地元ガイドの家に戻った。長い旅が終わる充足感に満たされているような…あるいは、あまりにも厳しい日々が終わることへの安堵か。

夕飯後にメンディが神妙な面持ちで、明日の件で相談があると。いや、わたしからも相談というか提案があるんだが…。

「いい情報が入ったんだ。馬2頭が4頭のユキヒョウに襲われた場所がある。いまから移動しようと思うがどうだ?」

え?

「情報があった場所は、ここから車で2時間はかかる。明日朝に移動するよりも、いま動いた方が効率がいいんだ」

ええ!?

確かに、家に帰ってからも(また電話してるなー)と思ってはいた。話によると、近隣の遊牧民ではなく、思い切って下流の村に近いところに住む親戚に電話したらビンゴだったのだ。

「例の親子のユキヒョウともう1頭がいる可能性がある。話によると、毎日家畜が襲われているそうだ。ラストチャンスだ。移動しよう!」と。

ええええ。

移動といっても簡単ではない。これまで遊牧民の家に民泊をしてきたわけだが、実際は、約10日分のすべての水や食料(すでに大部分は消費したとは思うけど計6人だし)、プロパンガスに二口のコンロ、各種食器や机やイスなど、かなりの物量を持ち込んでいる。そもそも、もう夜だし。

とにかくすべての装備をワズに積み込み、泊めていただいた家族とレンジャーと慌ただしくお別れをして、夜のオフロードに出発したのだ。

暗闇の中を疾走するワズの中で、開高健の本を思い出した。『オーパ、オーパ!! モンゴル・中国篇 スリランカ篇』だ。モンゴルに来る前に読み返したのだが、大作家はモンゴル紀行の最終日まで粘って粘って念願のイトウ(今はタイメン=アムールイトウと言いますね)を釣り上げるのだ。

写真=開高健の作品はほぼ読んでいます。晩年は釣り作家のようになっていましたが。

(開高さんはどこへ行っても、いつも最後最後で目的の魚を釣っていたよな…)

明日のアルタイ山脈の最終日はどういう1日になるのか? 開高さんのように起死回生の一発が出るのだろうか? 

最後の戦い(戦いじゃない)

その場所は、恐らくムンフハイルハン国立公園ではない。国立公園に隣接した山域だと思われた。今回の探索エリアは「奥山」→「中山間部」→「村近く」と、アルタイ山脈の中心部から徐々に周辺へと移動した。これはいまのアルタイ山脈におけるユキヒョウの状況を暗示するものだろうか?

写真=村が近いとはいってもそこはアルタイ山脈。

最終日のメンバーは多い。わたしとガイドのメンディ、ずっと付き合ってくれた地元ガイド2人、情報をくれたガイドの親戚、専属ドライバーのガヤまで参加して計6人だ。

まずは、ふたりひと組になって、三方向から谷を取り巻くように探索する。わたしはメンディと中央稜ダイレクト直登ルートだ(笑)。

歩き始めてすぐに無線が入った。新しいユキヒョウの足跡がこちらの尾根に向かっているらしい。しばらくして全員が集合して、静かに岩稜を辿る。

「見ろ。この足跡は新しい。数時間前だと思う」

写真=不鮮明なのがかえってリアルだ。

岩に、小指の爪の先ぐらいの雪が乗っていた。
「これを見ろ。ユキヒョウの足の裏から落ちた雪のかけらだ」

登れば登るほどユキヒョウの存在感が高まってくる。

写真=足跡が徐々にくっきりしてきた。
写真=おしっこに勢いを感じる(笑)。これは新しい!

「これを見ろ! ユキヒョウが寝た跡だ!」

写真=雪の模様に体毛を感じませんか!?

たしかに! これはユキヒョウがゴロンと横になっていた跡だ。右上にシュルンとした尾の跡もある! メンディが全長を測る。2メートル近い。

今度は、藪の中になにかの獣を食べた跡があった。これは数日前か? 情報通りこのあたりにしばらくいたのだろうか?

写真=ヤギか?

「もうこの先にユキヒョウがいる可能性がある。カメラを出して、先頭を歩くんだ」と言われる。

緊張してきた。

岩を巻き、稜線直下をトラバースする。斜面の向きのせいか雪が消えて、足跡がわからなくなる。ときおり立ち止まって斜面の先を見つつ、ゆっくりと歩く。

写真=え? そこにいないかな?

大きな稜線に出る。雪も残っている。

あ、あれ? 足跡が……山を下ってる!? えええええっ。

写真=はぅ!足跡が…しかも複数の足跡が山を下っている?!

ユキヒョウはすでにこの山を越えていた。6人全員が呆然と足跡を見て、その先の山々を見た。

なにか、そこにいたはずのものが、するりと抜けた感じだ。ユキヒョウは Ghost of Mountainsーー山の幽霊という別名がある。そこにいるのだが、もうそこにいない…そんな感じがまさに山の幽霊のようだ。もちろん、そんなことは気のせいだ。ただ、ユキヒョウはわたしたちより前に移動しただけなのだ。でも…。

あきらめないのだ。

そこからまた足跡の方向性を確認するために、2チームに分かれて急遽下山する。わたしたちは、稜線を辿りつつ少し戻り、ガレ場の急斜面を降りる。薄く剥がれた岩が堆積したガレ場だ。アルタイ山脈は本当にさまざまな表情がある。

ワズに戻って、チームが再び合流し、足跡の方向性を確認して車を走らせる。ユキヒョウが降りた谷に回り込むのだ。

写真=寝転がっているのは、姿勢を安定させ、
双眼鏡をぶれずに見るためにです。

雪の谷をワズでどんどん上がり、これ以上登れないところまでいって、そこから谷を詰め、全員でユキヒョウを探す。

いない。ユキヒョウはいない。

足跡があった。登っている。すでにユキヒョウはこの山域を離脱したのだ。大まかにいって、レッドマウンテン方向だ。彼らは再び山奥に戻ったのだ。

写真=また、山を登ってるじゃん!
写真=これが最後、有終のユキヒョウの足跡。

開高健はモンゴルの最終日に93センチのイトウを釣り上げるのだが、
「これはこれでいいサイズだけれど、イトウはまだまだ大きくなる。ジンギス汗や大平原にふさわしいようなのが欲しいね。きめた。来年もう一度来ようよ。来年、もう一度」と記している。(『オーパ、オーパ!! モンゴル・中国篇 スリランカ編』/集英社文庫)

欲望の塊である(笑)。わたしには開高健のような欲望が足りなかったのか? そして、この本を読み返して、何より驚いたのは彼がモンゴルにイトウを釣りに来たときの年齢だ。1986年、彼は56歳だったのだ。そう、わたしと同じ56歳なのだ…。

(開高健と同い年になって、同じモンゴルに来たのか…)

感慨深いような、なにかとてつもなく打ちのめされるような、そんな気持ちになった。

わたしには『雪豹』のピーター・マシーセンのような人生の深みはなく、開高健のような強い欲望とそれを包むような教養も含蓄もない。うん、なにもないな(笑)。挙句に体力も語学力もない。

なんだか底の浅い薄っぺらな56歳になってしまったけれど、それでも自分なりにアルタイ山脈の山々を1週間歩き、ユキヒョウを追い求めた。それ以上になにが必要だというのだ。 

写真=奥の稜線は中国との国境だ。思えば遠くまで来た。

開高は翌年再訪したモンゴルで1メートルオーバーの大イトウを釣り上げるのだが、わたしはどうするのか? つぎのチャレンジはあるのか?

写真=とぼとぼと山を下りる、わがチームの面々。ありがとな。

日が陰った谷をみんなで降りる。どこかでアルタイナキウサギがチイと鳴いた。

こうして、わたしのアルタイ山脈・ユキヒョウ探索の旅は終わったのだ。

(おわり)

→連載第1回はこちら

文と写真/神谷有二
1967年、愛知県生まれ。学生時代はニホンカモシカとツキノワグマを追いかけていた。山と溪谷社では自然・生物関係の書籍編集と、月刊『山と溪谷』やウェブサイト「ヤマケイオンライン」(現山と溪谷オンライン)などの登山関連の部署を右往左往した。公益財団法人日本自然保護協会理事。いまは、山と溪谷社いきもの部のブチョーwとして、日々のいきもの観察をXで垂れ流している。@Yamakei_ikimono

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