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シカゴ Belmont Avenue の思い出(4/4)

そんな Tokyo Rose のストーリーをそっと抱く Toguri Merchandise。

Belmont Avenue を、速度を落として運転しながら、昔の記憶をたどって探しましたが、店は見つかりませんでした。ホテルに戻り、ネットで調べると、去年閉店したということです。街の雰囲気は、以前とさほど変わっていません。その中で、ぽっかりと穴があいたように、Toguri Merchandise は時の流れの向こうに消えていました。

第二次世界大戦の記憶が一つなくなりました。そして戦後という時代も、その感覚も日ごとに薄れてゆくことを実感します。二つの祖国に挟まれた日系人の物語は、数えきれないほどあるはずです。その中でも Iva Toguri とその家族を見舞った悲話は、突出しています。

戦時中、敵国の市民ということで、Toguri 一家をはじめ、多くの日系人を強制収容所に送った大統領令 9066号が誤った指令で、その非を正式にアメリカ政府が謝罪したのが 1988年。賠償金の支払いが決定したのが 1992年のことでした。

その頃、あの Toguri Merchandise には、バブル経済を謳歌する日本に関心をもつアメリカ人も多く訪れ、私が販売していた日本関係の英文書もよく売れていたことを覚えています。

日本とアメリカとの長く深い歴史の中、激動の時代を生きた Tokyo Rose は、今シカゴ郊外の Montrose Cemetery という墓地で、アメリカ人として静かに眠っています。

最後にこのストーリーに関連した記事の一部をここに紹介します。(シカゴ・トリビューンより)

Bitter aftermath of World War II, a California native named Iva Toguri D’Aquino, accused of being the notorious “Tokyo Rose… Her conviction, historian Edwin Reischauer wrote, was the product of a public “under the influence of traditional racial prejudices

訳:第二次世界大戦の痛々しい後日談、カリフォルニア生まれで、悪名高い東京ローズで知られるアイバ・トグリ・ダキーノ。彼女の有罪判決について歴史家エドウィン・ライシャワーは、古典的な人種偏見に元づく産物だと記す。

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